包み黒紋付を着流している。
馬琴は気味悪く思いながらも、引き返すことも出来なかったので、往来の端を足音を忍ばせ、しとしと[#「しとしと」に傍点]と先へ歩いて行った。すると、ひそかに心配していた通り、覆面の武士が近寄って来た。スルリ双方擦れ違った途端、キラリと剣光が閃いた。
「抜いたな」と馬琴は感付いたが、却《にげ》も走りもしなかった。かえって彼は立ち止まったのである。それから静かに刀を抜くと、それを下段に付けたまま悠然と体の方向《むき》を変え、グルリ背後《うしろ》へ振り向いて辻斬の武士と向かい合った。
「うむ、ここだな、無念無想!」
馬琴は心で呟くと、故意《わざ》と相手の姿は見ずに自分の足許へ眼を注けた。臍下丹田に心を落ち付け、いつ迄も無言で佇んだ。
相手の武士もかかって来ない。青眼に刀を構えたまま、微動をさえもしないのである。
八犬伝書き進む
その時武士の囁く声が馬琴の耳へ聞こえてきた。
「驚き入ったる無想の構え。合討ちになるも無駄なこと、いざ刀をお納め下され」
そういう言葉の切れた時パチリと鍔鳴りの音がした。武士は刀を納めたらしい。しかし馬琴は動かなかった。じっ[#「じ
前へ
次へ
全24ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング