馬琴はこう云って喜んだが、それはさすがに書店だけに、耕書堂蔦屋には文庫があり、戦記や物語の古書籍が豊富に貯えられていたからである。馬琴は用事の隙々《ひまひま》にそれらの書物を渉猟し、飽無き智慧慾を満足させた。
 戯作者としては彼の体が余りに偉大であったので、冗談ではなく誠心《まごころ》から相撲になれと進める者があったが彼は笑って取り合わなかった。その清廉の精神と堂々の風彩を見込まれて、蔦屋の親戚の遊女屋から入婿になるよう望まれたが、馬琴は相手にしなかった。
 側眼もふらず戯作道を彼は精進したのである。
 曲亭馬琴と署名して「春の花|虱《しらみ》の道行」を耕書堂から出版《だ》したのは、それから間もなくのことであったが、幸先よくもこの処女作は相当喝采を博したものである。
 これに気を得て続々と馬琴は諸作を発表したが、折しも京伝は転化期にあり、他に目星しい競争者もなく、文字通り彼の一人舞台であり、かつは名文家で精力絶倫、第一人者と成ったのは理の当然と云うべきであろう。
 しかし間もなく競争者は意外の方面から現われた。
 十返舎一九《じっぺんしゃいっく》、式亭三馬《しきていさんば》が、滑稽物
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