毒だな。身上半減は辛かろう。日頃剛愎であるだけにこんな場合には尚|耐《こた》えよう。それに年来《としごろ》蔦屋には随分俺も厄介になった。ここで没義道《もぎどう》に見捨ることも出来ない」
で、京伝は云ったものである。
「ようごす、ひとつ書きやしょう」
戯作道精進
「さあ忙しいぞ忙しいぞ」
蔦屋重三郎の帰った後、京伝は大袈裟にこう云いながら性急に机へ向かったが、性来の遅筆はどうにもならず、ただ筆を噛むばかりであった。
そこへのっそり[#「のっそり」に傍点]と入って来たのは居候の馬琴である。
「あ、そうだ、こいつア宜《い》い」
何と思ったか京伝はポンと筆で机を打ったが、
「滝沢さん、頼みますぜ」
藪から棒に云ったものである。
「何でござるな」と云いながら、六尺豊かの偉大な体をずんぐりとそこへ坐らせたが、馬琴は不思議そうに眼をパチつかせる。
「偉いお荷物を背負い込んでね、大あぶあぶの助け船でさあ。実は……」と京伝は蔦屋との話をざっと馬琴へ話した後、
「新年《はる》と云っても逼って居りやす。四編はどうでも書かずばなるまい。とても私《わっち》の手には合わず、さりとて今更断りもならず、四苦八苦の態たらくでげす。――いかがでげしょう滝沢さん、代作をなすっちゃア下さるまいか?」
とうとう切り出したものである。
「代作?」と云って渋面を作る。
馬琴には意味が呑み込めないらしい。
「左様、代作、不可《いけま》せんかえ?」
「……で、筋はどうなりますな?」
「ああ筋ですか、胸三寸、それはここに蔵して居ります」
ポンと胸を叩いたが、それから例の落語口調でその「筋」なるものを語り出した。
黙って馬琴は聞いていたが、時々水のような冷い笑いを頬の辺りへ浮べたものである。
聞いてしまうと軽く頷き、
「よろしゅうござる、代作しましょう」
「では承知して下さるか」
「ともかくも筆慣らし、その筋立てで書いて見ましょう」
「や、そいつア有難てえ。無論稿料は山分けですぜ」
しかしそれには返辞もせず、馬琴はノッソリ立ち上ったが、やがて自分の机へ行くと、もう筆を取り上げた。
筆を投ずれば風を生じ百言|即座《たちどころ》に発するというのが所謂《いわゆ》る馬琴の作風であって、推敲[#「推敲」は底本では「推稿」]反覆の京伝から見れば奇蹟と云わなければならなかった。
その日から数えて一月ばかり
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