しろ馬琴を早く呼んで、褒め千切りたくてならないのであった。
手錠五十日
明日《あす》とも云わず其日《そのひ》即刻《そっこく》、京伝は使いを走らせて馬琴を家へ呼んで来た。
「滝沢さん、素敵でげすなア」
のっけ[#「のっけ」に傍点]から感嘆詞を浴びせかけたが、
「立派なものです。驚きやした。悠に一家を為して居りやす。京伝黙って頭を下げやす。門下などとは飛んでもない話。組合になりやしょう友達になりやしょう。いやいや私《わっち》こそ教えを受けやしょう」
こんな具合に褒めたものである。
馬琴は黙って聞いていたが、別に嬉しそうな顔もしない。大袈裟な言葉をのべつ幕無しふんだん[#「ふんだん」に傍点]に飛び出させる京伝の口を、寧ろ皮肉な眼付きをして、じろじろ見遣るばかりであった。
「それはさておきご相談……」
と、京伝は落語でも語るようにペラペラ軽快に喋舌《しゃべ》って来たのを、ひょいとここで横へ逸らせ、
「どうでげすな滝沢さん、私の家へ来なすっては。一つ部屋へ机を並べて一諸に遣ろうじゃごわせんか」
「おおそれは何よりの事。洵《まこと》参って宜敷ゅうござるかな」
馬琴はじめて莞爾とした。
「ようござんすともおいでなせえ。明日《あす》ともいわず今日越しなせえ。……おい八蔵や八蔵や、お引っ越しの手伝いをしな」
手を拍って使僕《こもの》を呼んだものである。
馬琴の父は興蔵《こうぞう》といって松平|信成《のぶなり》の用人であったが、馬琴の幼時死亡した。家は長兄の興旨《こうし》が継いだが故あって主家を浪人した。しかし馬琴だけは止まって若殿のお相手をしたものである。しかるに若殿がお多分に洩れず没分暁漢《わからずや》の悪童で馬琴を撲ったり叩いたりした。そうでなくてさえ豪毅一徹清廉潔白の馬琴である。憤然として袖を払い、
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木がらしに思い立ちけり神の旅
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こういう一句を壁に認めると、飄然と主家を立ち去ってしまった。十四歳の時である。
「もうもう宮仕えは真平だ」
馬琴は固く決心したが、しかしそれでは食って行けない。止むを得ず戸田侯の徒士《かち》となったり旗本邸を廻り歩いたり、突然医家を志し幕府の典医|山本宗英《やまもとそうえい》の薬籠《やくろう》持ちとなって見たり、そうかと思うと儒者を志願し亀田|鵬斎《ほうさい》の門をくぐったり、石川
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