現代の基督は、どんな姿で現われるだろう?
私は漸時《だんだん》皮肉になった。私は漸時忍従的になった。だがいつも脅かされていた。
「きゃつは詐欺師だ、殺人犯ではない。五年か十年、刑期さえ終えたら、出獄するに相違ない。取りに来るぞ、銀三十枚! どうしたらいいのだ。返すことは出来ない! 彼女はその間に使ってしまうだろう」
だが人間というものは、そのドン底まで追い詰められると、反動的勇気に駈られるものであった。ある日私は自分へ云った。
「基督を求めるには及ばない。他力本願は卑怯者の手段だ。自分のことは自分でするがいい」
で私はすることにした。
そこで私は「左様なら」と云った。
直接彼女へ云ったのではなかった。泥沼の生活へ云ったのであった。
そうして「左様なら」を実行した。大した勇気もいらなかった。ほんの簡単に実行された。
何にも持たずに家出をし、お城近くの安下宿へ、私は下宿をしたのであった。
お城の堀と石垣と、松との見える小さな部屋へ、私は体を落ちつけた。
霧深い厳冬のことであった。
「彼女が驚こうが驚くまいが、私の知ったことではない。彼女が探そうが探すまいが。私の知ったこ
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