ら森然《しん》と静まった。
賊の頭目は眼を見張ったが、やがてポンと手を拍った。
「ははあ左様か。そうであったか。磔柱の郷介《ごうすけ》法師か」
「ところでお主《ぬし》何者かな?」
「私《わし》は五右衛門だ。石川五右衛門だ」
すると今度は法師の方でポンとばかりに手を拍った。
「うん、そうか、無徳《むとく》道人だったか」
「郷介法師、奇遇だな」
「いや、全く奇遇だわえ」
「私はお主に逢いたかった」
「私もお主に逢いたかったものさ」
「で、五千両入用かな?」
「五右衛門と聞いては取られもしまい」
「せっかくのことだ、半金上げよう」
「金には不自由しているよ」
「私の所へ来てはどうか?」
「今どこに住んでいるな?」
「洛外嵯峨野だ。いい所だぞ。……ところでお主はどこにいるな?」
「私は雲水だ。宿はない」
「私の所へ来てはどうか?」
「まあやめよう。恐いからな」
「ナニ恐い? 何が恐い?」
「恐いというのは秀吉の事さ」
「成り上り者の猿面冠者か」
「私はあいつから茶碗を貰った」
「それが一体どうした事だ」
「そこで恐くなったのさ」
「何の事だか解《わか》らないな」
「彼奴《きゃつ》、殿下にもなれるはずだ。底の知れない大腹中だ。で私は立ち退く意《つもり》だ。そうだよ近畿地方をな」
「なんだ、馬鹿な、郷介程の者が、あんな者を恐れるとは恥かしいではないか!」
「その中お主にも思い当たろう」
「私は彼奴《あいつ》をやっつける意だ」
「悪いことは云わぬ、それだけは止めろ」
「私はある方に頼まれているのだ」
「はて誰かな? 家康かな?」
「いいや違う。狸爺ではない」
「およそ解《わか》った、秀次だろう?」
「誰でもいい。云うことは出来ぬ」
「止めるがいい。失敗するぞよ。彼奴用心深いからな」
五右衛門は娘をチラリと見たが、
「好い娘だな。別嬪だな。月姫殿の遺児《わすれがたみ》かな?」
「うん」と云うと郷介法師は始めて悲しそうな顔をした。
「この娘も本当に可哀そうだ」
「ではどうでも立ち退くつもりか?」
「うん、どうでも立ち退くよ」
「旅費はどうかな? 少し進ぜよう」
「私には五万両の貸がある」
「え、五万両? 誰に貸したのか?」
「堺の魚屋利右衛門へな」
「それではこれでお別れか」
「行雲流水、どれ行こうか」
そこで二人は別れたのである。
関白秀吉を恐れさせ一世の強盗五右衛門をして、兄事させた所の郷介法師とは、いかなる身分の大盗であろうか?
歴史にもなく伝説にもないこの不思議の大盗賊について、書き記してある書物と云えば、「緑林黒白《りょくりんこくびゃく》」一冊しかない。
で作者《わたし》はその書に憑據し、この大盗の生い立ちを左に一通り述べることにしよう。
4
「兄弟もなければ親もない。……俺は本当に孤児《みなしご》だ」
――岡郷介《おかごうすけ》はこう思って来ると、いつも心が寂しくなった。
「昨日《きのう》も戦争、今日も戦争、そうして明日も又戦争。……足利の武威衰えて以来、世はいわゆる戦国となり、仁義道徳は地に堕ちてしまった。親が子を殺し子が親を害する。恐ろしいは世の中の態《さま》だ。……親などはない方が気楽かもしれない」
――こう思うようなこともあった。
「しかし、それでは寂しいな。やはり親はあった方がいい。ああ両親《ふたおや》に逢いたいものだ」
親に対する思慕の情は捨ようとしても捨られないのであった。
「だが、それにしても俺の親は、どうして俺を振り捨て行方知れずになったのであろう? 俺は両親の顔をさえ知らぬ」
彼の心はこれを思うといよいよ寂しくなるのであった。
「最所治部めが叛《そむ》いたそうな。毛利|元就《もとなり》へ款《かん》を通じ俺に鋒先を向けるそうな」
備前国矢津の城主浮田|直家《なおいえ》はこう云って癇癪筋を額に浮かべた。
「不都合千万でございますな」
お気に入りの近習岡郷介はこれも無念そうに相槌を打ったが、
「余人はともかく治部殿は殿のご縁者ではございませぬか」
「だから一層残念だ」
「これは許しては置けませぬな」
「許しては置けない! 許しては置けない!」
直家の声は物狂わしい。
「謀叛の原因は何でございましょう?」
郷介はじっと眼を据えた。
「ああ原因か。原因は女だ!」
「ははあ女子でございますか」
「俺の娘月姫だ」
「月姫様?」と鸚鵡《おうむ》返したが、郷介の声は顫えていた。
「言語道断でございますな。……たしか治部殿は五十歳、月姫様はお十八、どうする意《つもり》でございましょう?」
「治部は昨年妻を失《なく》した」
「ははあそれでは後妾《のちぞえ》などに?」
「うん」と直家は奥歯を噛み締め、
「主筋にあたるこの俺へ姫をくれえと申して参った」
「すぐにお断りなさいましたか」
「するとたちまち今
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