度の謀叛だ」
「憎い男でございますな」
二人はちょっと黙り込んだ。春の夜嵐が吹いている。庭の花木にあたると見えて、サラサラサラサラと落花でもあろう、地を払う物の気勢《けはい》がする。
「郷介」と直家は意味あり気に、
「其方は今年二十二歳、姫とはちょうど年恰好だ」
「殿、何を仰せられます」
郷介は眼瞼を紅くした。
「治部さえなくば月姫は、其方に嫁わせないものでもない」
「私《わたくし》は臣下《けらい》でございます」
「秘蔵の臣下だ。疎《おろそ》かには思わぬ」
「忝けのう存じます」
「治部はどうしても生かして置けぬ」
「殿」と郷介は膝行《いざ》り寄った。
「私、治部めを討ち取りましょう」
「娘月姫は其方のものだ」
「忝けのう存じます」
春昼の陽は暖かく光善寺の樓門《さんもん》を照らしていた。
六十余り七十にもなろうか、どこか気高い容貌をした老年《としより》の乞食《ものごい》が樓門の前で、さも長閑《のどか》そうに居眠っていた。
そこへ通りかかった岡郷介は、何と思ったかツカツカと近寄り、
「お父様!」と呼びかけた。そうして地上へ跪座《ひざまず》いた。
驚いたのは乞食であった。
「私は乞食でござります。お父様などとはとんでもない。何かのお間違いでござりましょう」
「いえいえ貴郎《あなた》はお父様です。夢のお告げがござりました。……昨夜《ゆうべ》のことでございますが、神々しい老人が現われ出で、『汝明日光善寺へ参れ、そこに老年の乞食がいよう、それこそ汝が年頃尋ねる実の生の親であろうぞ』と、お告げ下されましてござります。……何と仰せられても貴郎は父上。どうでも邸へお迎え致し孝養を尽くさねばなりませぬ」
郷介はこう云うと飽迄真面目に乞食の手を取るのであった。
「どうも不思議だ。解《げ》せぬことだ」
乞食は苦々しく笑ったが、
「ところで貴郎のお姓名《なまえ》は?」
「岡郷介と申します」
「なに?」と乞食はそれを聞くと颯《さっ》と顔色を変えたものである。
「岡郷介? しかと左様かな?」
「何しに偽りを申しましょう」
「……ああもう遁れぬ運命じゃ。……さあどこへでもお連れ下され。……」
老いたる乞食はヒョロヒョロと敷いていた筵《むしろ》から立ち上ったが、その表情にもその態度にも、一種異様なものがあった。恐れに恐れていた幽霊に、避けに避けていた悪運に、突然ぶつかった[#「ぶつかった」に傍点]人かのような、絶体絶命[#「絶体絶命」は底本では「絶対絶命」]の恐怖の情がまざまざと現われていたのであった。
5
当時、すなわち永禄《えいろく》の頃には、備前の国は三人の大名が各自《おのおの》三方に割居して、互いに勢いを揮っていた。谷津の城には浮田|直家《なおいえ》、龍の口城には最所治部《さいしょじぶ》、船山城には須々木豊前《すずきぶぜん》。――そうして勢力は互格であった。
最所治部の龍の口城へ、ある日一人の若侍が、父だと云う老人を連れて、さも周章《あわただ》しく駈け込んで来た。手足から鮮血《なまち》を流している。
「私事は浮田の家臣岡郷介と申す者、寃罪《むじつのつみ》によりまして、主人のためかくの如きの折檻、あまりと云えば非義非道、ことには重代の主従ではなし、絶縁致すはこの時と存じ、一人の父を引き連れまして、谷津の城を抜け出し、ここまで参りましてござります。承わりますれば最所殿には士を愛する名君との事、願わくば随身仕り、犬馬の労を尽くしたく、そのため参上致しましてござるが、貴意いかがにござりましょうや?」
これが若侍の口上であった。
「浮田の家来とあるからは、ちょうど幸い扶持して取らせ、其奴《そやつ》の口から敵状を聞こう」
最所治部はこう云った。で、郷介はその時から最所家の家来となったのである。
才気縦横の郷介は間もなく治部の寵臣となったが武道は精妙、弁舌は爽か、それに浮田家の内情は裏の裏まで知っていて、治部が尋ねれば声に応じて、城の要害、武具兵糧、兵の強弱、謀将の可否、どんな事でも物語るので、治部は遺憾なく相格を崩し、郷介を寵愛するのであった。
こうしていつか春も去り、やがて蒸し熱い夏となったが、その夏も去《い》って秋となった。郷介が治部に随身してから六月の月日が経ったのである。
或日治部は家来を率いて、馬場で馬術の調練をした。
「郷介」と治部は声を掛けた。
「其方《そち》馬術は鍛練かな?」
「は、いささか仕ります」
岡郷介は微笑して云う。
「では、一鞍せめ[#「せめ」に傍点]て見ろ」
「は」と云ったが気乗りせず、
「適当の逸物ござりましょうか?」
「馬か? 馬ならいくらもある」
「私、駻馬を好みます」
「荒馬がよいか。それは面白い。では月山に乗って見ろ」
「失礼ながら月山などは、私の眼から見ますると、弱気の病馬に過ぎません
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