持ち、中央にいる二人の小男が、蛇味線《じゃみせん》を撥《ばち》で弾いていた。
頭領と見える四十五六の男は、さすがに黒革の鎧を着、鹿角《かづの》[#ルビの「かづの」は底本では「かずの」]を打った冑《かぶと》を冠り、槍を小脇にかい込んでいた。
この一党は何物なのであろう? いわば野武士と浪人者と、南朝の遺臣の団体《あつまり》なのであった。応仁の大乱はじまって以来、近畿地方は云う迄もなく、諸国の大名小名の間に、栄枯盛衰が行なわれ、国を失った者、城を奪われた者が、枚挙に暇ないほど輩出した。その結果禄に離れた者が夥《おびただ》しいまでに現われた。すなわち野武士浪人が、日本の国中に充ちたのである。それ以前から足利幕府に、伝統的に反抗し、機会さえあったら足利幕府に、一泡吹かせようと潜行的に、策動している南朝方の、多くの武士が諸方にあった。すなわち新田《にった》の残党や、又、北畠《きたばたけ》の残党や、楠氏《なんし》の残党その者達である。で、そういう武士達は、時勢がだんだん逼塞し、生活苦が蔓延するに従い、個人で単独に行動していたのでは、強請《ごうせい》、押借《おしがり》というようなことが、思うように効果があがらなくなったのと、いうところの下剋上《げこくじょう》――下級《した》の者すなわち貧民達が、上流《うえ》の者を凌ぎ侵しても、昔のようには非難されず、かえって正当と見られるような、そういう時勢となったので、そこで多数が団結し、何々党、何々組などと、そういう党名や組名をつけて、※[#「てへん+晉」、第3水準1−84−87]紳《しんしん》の館や富豪の屋敷へ、押借りや強請に出かけて行くことを、生活の方便とするようになった。
ここへ行く一団もそれであって、「あばら組」という組であり、頭目は自分で南朝の遺臣、しかも楠氏の一族の、恩地左近《おんじさこん》の後統である、恩地雉四郎であると称していたが、その点ばかりは疑わしかったが、剽悍の武士であることは、何らの疑いもないのであった。
この一団が傍若無人に、それほど夜も更けていないのに、京都の町をざわめきながら、小走りに走って行くのであった。
4
調度掛にかけてある弓箭《きゅうぜん》を眺め、しばらく小首を傾けている、日置正次《へきまさつぐ》の耳へ大勢の人声が、裏庭の方から聞こえてきたのは、それから間もなくのことであった。
(はてな?)と正次は耳を澄ました。大勢の人間が裏門を押し開け、庭内へ入って来たようであった。
不意に呼びかける声が聞こえてきた。
「お約束の日限と刻限とがただ今到来いたしてござる。恩地雉四郎お迎えに参った。いざ姫君お越し下され。お厭とあらば判官殿手写の『養由基《ようゆうき》』をお譲り下されよ!」
濁みた兇暴の声であった。
すると書院の次の間から、――すなわち一ノ間から老人の声が、嘲笑うようにそれに答えた。
「雉四郎殿か、お迎えご苦労! が、姫君には申して居られる、迎えにも応ぜず『養由基』もやらぬと。……雉四郎殿お立帰りなされ」
「黙れ!」と、雉四郎の怒声が聞こえた。
「それでは約束に背くというものだ」
「元々貴殿より姫君に対して、強請された難題でござる。背いたとて何の不義になろう」
「よろしい背け、がしかしだ、一旦思い込んだこの雉四郎、姫も奪うぞ『養由基』も取る! それだけの覚悟、ついて居ろうな!」
すると老人の声が書院の方へ――正次の方へ呼びかけた。
「あいや客人、日置正次殿、我等必死のお願いでござる、貴殿の弓勢《ゆんぜい》お示し下され! 寄せて参ったは、不頼の輩《ともがら》、あばら組と申す奴原《やつばら》、討ち取って仔細無き奴原でござる!」
「応」と云うと日置正次は、調度掛にかけてある陽の弓、七尺五寸、叢重籐《むらしげどう》、その真中《まんなか》をムズと握り、白磨箆鳴鏑《しろみがきべらなりかぶら》の箭《や》を掴むと、襖をあけて縁へ出た。
「寄せて来られた方々に申す。拙者は旅の武士でござって、今宵この館に宿を求めた者、従って貴殿方に恩怨はござらぬ。又この館の人々とも、たいして恩も誼《よしみ》もござらぬ。がしかしながら見受けましたところ、貴殿方は大勢、しかのみならず、武器をたずさえて乱入された様子、しかるに館には婦人と老人、たった二人しかまかりあらぬ。しかも二人に頼まれてござる。味方するよう頼まれてござる。拙者も武士頼まれた以上、不甲斐なく後へは引けませぬ。……そこで箭一本参らせる。引かれればよし引かれぬとなら、次々に箭を参らせる」
云い終わると箭筈《やはず》を弦に宛て、グーッとばかり引き絞った。狙いは衆人の先頭に立ち、槍を突き立て足を踏みひらき、鹿角打った冑をいただいている、その一党の頭目らしい――すなわち恩地雉四郎の、その冑の前立であった。弦ヲ控《ヒ》クニ二法アリ、無名指ト中指ニテ大指ヲ圧シ、指頭ヲ弦ノ直堅《チヨクケン》に当ツ! 之《コレ》ヲ中国ノ射法ト謂《イ》フ! 正次の射法はこれであった。満を持してしばらくもたせたが「曳《えい》!」という矢声! さながら裂帛! 同時に鷲鳥の嘯くような、鏑の鳴音響き渡ったが、源三位頼政《げんざんみよりまさ》鵺《ぬえ》を射つや、鳴笛《めいてき》紫宸殿《ししんでん》に充つとある、それにも劣らぬ凄まじい鳴音が、数町に響いて空を切った箭! 見よおりから空にかかった、遅い月に照らされて、見えていた恩地雉四郎の、鹿角の前立を中程から射切り、しかも箭勢《せんぜい》弱らずに、遥かあなたに巡らされている、築土の塀に突き刺さった。
ド、ド、ド、ド――ッという足音がして、この弓勢《ゆんぜい》に胆を冷やした、あばら組三十五人は、一度に後へ退いた。が、さすがに雉四郎ばかりは、一党の頭目であったので、逃げもせず立ったまま大音を上げた。
「やあ汝出過者め、無縁とあらば事を好まず、穏しく控えて居ればよいに、このあばら組に楯衝いて、箭を射かけるとは命知らずめ、問答無益、出た杭は打ち、遮る雑草は刈取らねばならぬ! さあ方々おかえりなされ! 弓勢は確かに凄じくはござるが、狙いは未熟で恐るるところはござらぬ。冑の前立をかつかつ[#「かつかつ」に傍点]射落とし、眉間を外した技倆《うで》で知れる!」
すると正次は嘲るように云った。
「雉四郎とやら愚千万、昔|保元《ほうげん》の合戦において、鎮西《ちんぜい》八郎|為朝《ためとも》公、兄なる義朝《よしとも》に弓は引いたが、兄なるが故に急所を避け、冑の星を射削りたる故事を、さてはご存知無いと見える。拙者先刻も申した通り、我と貴殿と恩怨ござらぬ、それゆえ故意《わざ》と眉間を外し、前立の鹿角を射落としたのでござるぞ。それとも察せずに只今の過言、狙いは未熟とは片腹痛し、おお可々《よしよし》ご所望ならば、二ノ箭にてお命いただこう。……参るゾーッ」と背後《うしろ》を振り返り、床の間にある調度掛の箭を、抜き取ろうとして手を延ばした。
5
途端に箭が一條眼の前へ出された。
「いざ、これで、遊ばしませ」
「うむ」と思わず声を上げ、その箭を取ったが眼を据えて見た。その正次の眼の前に、――だから正次の背後横に、髪は垂髪、衣裳は緋綸子、白に菊水の模様を染めた、裲襠《うちかけ》を羽織った二十一二の、臈《ろう》たけた美女が端坐していた。
「貴女《きじょ》は?」と正次は驚きながら訊ねた。訊ねながらも油断無く、弦《ゆみ》に矢筈《やはず》をパッチリと嵌め、脇構えに徐《おもむろ》に弦《つる》を引いた。
「この家の主人《あるじ》にござります。……」
「では先刻の……今様《いまよう》の歌主?」
云い云い八分通り弦を引き、
「ご姓名は? ……ご身分は?」
「楠氏の直統、光虎《みつとら》の妹、篠《しの》と申すが妾《わらわ》にござります」
「おお楠氏の? ……さては名家……その由緒ある篠姫様が……」
ヒューッとその時数條の箭が、敵方よりこなたへ射かけられた。と、瞬間に正次の眼前、数尺の空で月光を刎ねて、宙に渦巻き光る物があった。
「おッ」――キリキリと弦を引き、さながら満月の形にしたが「おッ」とばかりに声を洩らし、正次は光り物の主を見た。一人の老人が小薙刀を、宙に渦巻かせて箭を払い落とし、今や八双に構えていた。
「や、貴殿は? ……」
「昼の程は失礼」
「うーむ、和田の翁でござるか」
「すなわち楠氏の一族にあたる和田|新発意《しんぼち》の正しい後胤、和田|兵庫《ひょうご》と申す者。……」
「しかも先刻築山の方より、拙者を目掛けて箭を射かけたる……」
「それとて貴殿の力倆|如何《いか》にと、失礼ながら試みました次第……」
「…………」
矢声は掛けなかった! それだけに懸命! 切って放した正次の箭! 悲鳴! 中《あた》った! 足を空に、もんどり[#「もんどり」に傍点]討って倒れたのは、雉四郎の前に立ちふさがった、敵ながらも健気《けなげ》の武士であった。
ワーッとどよめき崩れ引く敵! しかも遥かに逃げのびながら、またもハラハラと箭を射かけた。と薙刀を渦巻かせ、和田兵庫は正次の前方、書院の縁の端に坐り、片膝をムックリと立てていた。
「いざ、三ノ箭! 遊ばしませ」
姫が差し出した三本目の箭を、素早く受けると日置正次、矢筈に弦を又もつがえ、グーッと引いて満を持した。
「その楠氏の姫君が、何故このような古館に?」
「洞院左衛門督信隆《とういんさえもんのすけのぶたか》卿、妾の境遇をお憐れみ下され、長年の間この館に、かくまいお育て下されました。しかるに大乱はじまりまして、都は大半烏有に帰し、公卿方|堂上人《どうじょうびと》上達部《かんだちめ》、いずれその日の生活《たつき》にも困り、縁をたよって九州方面の、大名豪族の領地へ参り、生活《くらし》するようになりまして、わが洞院信隆卿にも、過ぐる年|周防《すおう》の大内家へ、下向されましてござります。その際妾にも参るようにと、懇《ねんごろ》におすすめ下されましたが……」
「…………」
矢声は掛けなかった、充分に狙い、切って放した正次の箭! 中《あた》って悲鳴、又も宙に、もんどり打って仆れた敵! ワーッとどよめいて敵は引いたが、懲りずまた箭をハラハラと射かけた。
渦巻かせた兵庫の薙刀のために、箭は数條縁へ落ちた。
「四本目の箭、いざ遊ばせ!」
「うむ」と受け取り、そのままつがえ
「何故ご下向なされませなんだ」
「先祖|正成《まさしげ》より伝わりました、弓道の奥義書『養由基《ようゆうき》』九州あたりへ参りましたら、伝える者はよもあるまい、都にて名ある武士に伝え、伝え終らば九州へと……」
「養由基? ふうむ、名のみ聞いて、いまだ見たこともござらぬ兵書! ははあそれをお持ちでござるか」
云い云い正次は、キリ、キリ、キリ、と弦をおもむろに引きしぼった。
「養由基一巻拙者の手に入らば、日頃念願の本朝弓道の、中興の事業も完成いたそうに。欲しゅうござるな! 欲しゅうござるな。……さてこの度は何奴を!」
満月に引いてグッと睨んだ。
6
自分の部下を目前において、二人まで射倒された雉四郎は、怒りで思慮を失ってしまった。箭に対して刀を構えようとはせず、持っていた槍を引きそばめ、衆の先頭へ走り出た。
「やあ汝《おのれ》よくもよくも、我等の味方を箭先にかけ、二人までも射て取ったな。もはや許さぬ、槍を喰らって、この世をおさらば、往生遂げろ!」
叫びながら驀進《まっしぐら》に、正次目掛けて走りかかった。
(いよいよ此奴《こやつ》を!)と日置正次、引きしぼり保った十三|束三伏《ぞくみつぶせ》、柳葉《やなぎは》の箭先に胸板を狙い、やや間近過ぎると思いながらも、兵《ひょう》ふっ[#「ふっ」に傍点]とばかり切って放した。
狙いあやまたず胸板を射抜き、本矧《もとはぎ》までも貫いた。
末期の悲鳴、凄く残し、槍を落とすとドッと背後へ、雉四郎は仆れて死んだ。頭目を討たれたあばら組の余衆、競ってかかる勇気はなく、雉四郎の死骸さえ打ち捨て、ドーッと裏門からなだれ出た。
半刻《はんとき》あまりも経った頃、正次と篠姫と和田兵庫とが、書院でつつまし
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング