士、――といったような姿であった。
「よろしいそれではお世話しましょう。ここは京の室町《むろまち》で、これを南へ執《と》って行けば、今出《いまで》川の通りへ出る。そこを今度は東へ参る。すると北|小路《こうじ》の通りへ出る。それを出はずれると管領《かんりょう》ヶ原で、その原の一所に館がござる。その館へ参ってお泊りなされ。和田の翁より承《うけたま》わったと、このように申せば喜んで泊めよう。さあさあおいで、行ってお泊り」
云いすてると老人は腰を延ばし、突いていた寒竹《かんちく》の鞭のような杖を、振るようにして歩み去った。
若い武士は唖然としたようであった。
時は文明《ぶんめい》五年であり、応仁の大乱が始まって以来、七年を経た時であり、京都の町々は兵火にかかり、その大半は烏有《うゆう》に帰し、残った家々も大破し、没落し、旅舎というようなものもなく、有ってもみすぼらしいものであった。若武士が京の町へ足を入れたのは、たった今しがたのことであり、時刻はすでに夕暮であり、事実さっきからよい宿はないかと、それとなく探していたところであった。で、老人に呼び止められ、今のように宿を世話されたことは、有
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