ケに貧乏だったものさ」
「でも、殺さずとも可《よ》かったろうに」
「ナーニ、手にかけて殺したんじゃあねえ。変な具合で自殺したんだ。尤も自分で死ななかったら、屹度《きっと》俺は殺したろうよ」
「恨死《うらみじに》に死んだんだね」
「お説の通りだ、恨死に死んだ」
「で、只今はお梅さんと、仲|宜《よ》くおくらしでござんすかえ?」
 直助は古風に冷《ひや》かすように訊いた。
「何さ、お梅も喜兵衛|奴《め》も、婚礼の晩に叩っ切って了《しま》った」
 伊右衛門は斯《こ》う云うと苦笑した。
「お梅は何《ど》うでも可《よ》かったが、持参金だけは欲しかった。伊藤の家庭と来たひにゃあ、時々蔵から小判を出して、錆《さび》を落とさなけりゃあならねえ程、うんとこさ金があったんだからなあ」
「だが何《ど》うして殺したんで?」
「時の機勢《はずみ》という奴さ」伊右衛門はひどく冷淡に「お梅の顔がお岩に見え、喜兵衛の顔が小仏小平《こぼとけこへい》、其奴《そいつ》の顔に見えたのでな、ヒョイと刀を引っこ抜くと、コロコロと首が落ちたってものさ」
「ははあ、其奴ぁお岩さんの怨《うらみ》だ」
「世間でもそんなことを云っていたよ」
「でお前さんは何《ど》う思うので?」
「何《ど》う思うとは何を何《ど》う?」
「幽霊が恐くはありませんかね?」
「それより俺は斯《こ》う云い度《た》いのさ。人間の良心というものは、麻痺させようと思えば麻痺出来るとな」
 鳥渡《ちょっと》直助には解らなかった。
 二人は暫く黙っていた。
 此処《ここ》は砂村《すなむら》隠亡堀であった。
 一所《ひとつところ》に土橋がかかっていた。その下に枯蘆《かれあし》が茂っていた。また一所に樋《ひ》の口があった。枯れた苔《こけ》が食《く》っ付《つ》いていた。
 前方《まえ》はドロンとした堀であった。さあ、確に鰻は居そうだ。
 土手の背後《うしろ》に石地蔵があった。鼻が半分欠けていた。慈悲円満にも見えなかった。
 土手の向うは田圃であった。
 稲村が飛び飛びに立っていた。
 それは曇天の夕暮であった。
 茶がかった[#「がかった」に傍点]渋い風景であった。
 芭蕉《ばしょう》好み、そんな景色だ。
 伊右衛門の前には釣棹《つりざお》が、三本が所下ろされてあった。
 その一本がピクピクと揺れた。
「ああ出来た」
 と直助が云った。
 で、伊右衛門は上げてみ
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