です。負けた島子はくやしがって、舌を噛んで死んだということですが、いってみれば天罰|覿面《てきめん》でしょう。さらに一方花垣志津馬は、無頼の浪人を手下とし、葉末さん誘拐を企てたり、琢磨氏殺害を巧《たく》んだり、いろいろ奸策をしたそうです。そうして養女の葉末さんが、満二十歳になる晩には、衆を率いて自分から、琢磨氏の屋敷へ切り込んだそうで。で、そいつを退治たのが、私だったのでございますよ。もっとも私以外にも、弁吉、右門次、左近などという、三人の忠義の家来があって、花垣部下の浪人を、三人がところ叩っ切り、災いを根絶しましたがね。……その三人で思い出しました。今考えてもおかしな話で、私はそれら三人へ、ピシピシ平打ちをくれたもので。ごろつき[#「ごろつき」に傍点]だと思いましたので。つまり葉末さんをかどわかそうとした、ならずもの[#「ならずもの」に傍点]だと思いましたので。いやまた事実そうでもあったのです。というのは外でもありません、そんなような狂言をすることによって、手のきく武士を味方につけ、花垣一派の切り込みに、備えようとしたのでございますよ。……そうして娘の葉末さんさえ、もし承知をするようなら、私と夫婦にさせようと、事実琢磨氏は考えていたそうで。ところがどうもこの拙者、葉末さんの御意《ぎょい》にかなわなかったと見え、真似事の結婚をしたばかりで――さようさようその晩に、私とそうして葉末さんとは、結婚をしたのでございますよ、さようさよう真似事のな。それをしないと大財産が、琢磨氏と葉末さんに行きませんので。……話といえばまずザッと、こんな次第でございます。――さあその後あのお二人、琢磨氏と葉末さんとは、どんなくらしをしているやら、参ったこともありませんので、とんと一向存じませんが、琢磨氏は学者で人格者、恐らく独身で書斎に籠もり、その西洋の学問なるものを、勉強していることでございましょう。ええとそうして葉末さんは、事実琢磨氏を愛していたので、西洋の言葉でいいますと――これは琢磨氏に聞いたのですが、何んとかいったっけ、プラトニック・ラヴか――心ばかりの恋をささげ、肉体は依然として処女のままで、奉仕していることでございましょう。……いや、何んにしてもあの晩は、私にとって面白かった晩で、剣侠になったのでございますからな。アッハッハッ、思い出になります」



底本:「怪しの館 短編」国枝史郎伝奇文庫28、講談社
   1976(昭和51)年11月12日第1刷発行
初出:「サンデー毎日」
   1927(昭和2)年6月15日号
入力:阿和泉拓
校正:多羅尾伴内
2004年11月24日作成
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