円々とした肩が現われた。連れて一方左の乳房が、タップリと全量を現わした。さも重たそうな乳房である。
「さあご返辞をなさりませ」
こういうと島子は眼を閉じた。いや半眼に閉じたのである。と大きな眼が急に細まり、下のまぶたへ濃いかげが出来た。睫毛がかげを作ったのである。何んとひときわその眼付き、誘惑的になったことか! 陶酔的の眼であった。恍惚とした眼であった。
と、その眼をすっかり閉じ、支えていた右手を頤から取ると、島子はガックリ首を垂れた。寝椅子へ額を押しあてて、ベッタリ臥伏《うつぶ》せに寝たのである。襲衣の襟が楔形《くさびがた》に、深く背の方へひかれたためか、背筋まで見せて頸足が、ろくろっ首のように長くなった。そこへ髪の毛がもつれ[#「もつれ」に傍点]ている。髪の毛の間からヌラヌラと、白い艶のよい肉が見える。海草の中から、白珊瑚が、チラチラ光っているようである。
「味のよいお酒がここにあります」
眠くて眠くてたまらないような、ぼっと[#「ぼっと」に傍点]した声で、うっとりとこう島子は呼びかけた。
「お飲みなさりませ、琢磨様」
そろそろと全身をうねらせた。寝返りを打とうとするらしい。仰向《あおむ》けになろうとするらしい。
武士が一人立っている。
寝椅子の傍に立っている。
ほかならぬ三蔵琢磨である。
冷然として立っている。島子の嬌態など見ようともしない。顔など決して充血していない。といって決して青ざめてもいない。眼を正しく向けている。口を普通に結んでいる。足も決してふるえていない。こぶし[#「こぶし」に傍点]なども決して握っていない。あくまでも冷静沈着である。
だが額の一所に、汗の玉のあるのはどうしたのだろう?
木彫のように黙っている。だがもし彼が物をいったら、ふるえないということがどうしていえよう。
ふるえ声を女に聞かれるのを、恐れて物をいわないのかもしれない。
なぜ彼は島子を見ないのだろう? そういう女の嬌態などに、感興をひかないたち[#「たち」に傍点]だからだろうか? そういうようにも解される。だがその反対にも解される。そういう嬌態の誘惑を恐れ、それで島子を見ないのだと。
だが彼はある物を見てはいた。
彼の正面に壁がある。そこにある物がかかっていた。文政時代に似つかわしくない、外国製の柱時計であった。
黒檀の枠、真鍮の振子! 振子は枠から長く垂れ、規則正しく揺れている。で、そこから音が聞こえる。カチ、カチ、カチ、……カチ、カチ、カチ! ――セコンドを刻む音である。
長針と短針とが矢のように、白い平盤の表面に、矩形をなして突き出ている。その周囲を真円に囲み、アラビア文字が描かれてある。短針は十二時を指そうとしている。しかし長針は十時にあった。
カチ、カチ、カチ、……カチ、カチ、カチ、……時は刻々に移って行く。
「十分前だ!」
呻くような声! 琢磨の口から出たのである。冷静な顔や態度にも似ず、息詰まるような声であることよ!
カチ、カチ、カチ……カチ、カチ、カチ!
時は刻々に移って行く。
二人の男女を包んでいるところの、部屋の様子というものも、まことに異様なものであった。
十二
とはいえ今日の眼から見れば、洋風の書斎に過ぎないのではあるが。
壁の一方にドアがあり、壁の一方に窓があり、巨大な書棚が並んでおり、書物がギッシリ詰まっており、数脚の椅子と卓とがあり、洋燈が卓の上に燃えており、それに照らされて青磁色をした、床の氈《かも》が明るんでおり、同じ色をした窓掛けが、そのひだ[#「ひだ」に傍点]にかげをつけており、高い白堊の天井の、油絵の図案を輝かせている。――というまでに過ぎなかった。
とはいえ時代は文政である。所は江戸の郊外である。そういう時代のそういう所に、こういう部屋のあるということは、かなり驚いてもよいことであった。
さらに驚くべきものがあった。
とはいえそれとて一口にいえば、一枚の張り紙に過ぎないのではあるが――だがその張り紙に書かれてある、四ツの箇条書きを見た人は、非常に驚くに相違ない。
時計の真下、振子の下に、張り紙は張ってあるのであった。
「八分前だ!」
呻くような声! 琢磨の口から出たのである。
と、島子の声がした。
「こちらをお向きなさいまし」
だが琢磨はまたいった。
「四分前だ! もうすぐだ!」
「こちらをご覧なさいまし。きっと見ることが出来ましょう! 私の肌を!」
やっぱり琢磨呻くようにいう。
「三分前だ! もうすぐだ! そうしたら解放されるだろう!」
あせった島子の声がした。
「あなたは見ることが出来ましょう! 私の肌を!」
だがまた呻くように琢磨がいった。
「後二分だ! 後二分だ」
同じく呻くように島子がいう。
「ご覧な
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