のの馬鹿らしくなった。(そんなことどうだっていいではないか。こっちにかかわりあることではない。先様のご都合に関することだ)「では送るにも及びますまいな」(あたりまえさ!)とおかしくなった。(十足もあるけば家の中へはいれる)「ご免」といいすてるとあるき出した。(どうもいけない、儲けそこなったよ)
 だがその時娘がとめた。「どうぞお立ち寄りくださいまし。お礼申しとう存じます。あの、父にも申しまして」それから門をトントンと打った。「爺や爺や、あけておくれ」
「ヘーイ」と門内から返辞があって、すぐ小門がギーと開いたが、「お侍様え、おはいりなすって。……さあお嬢様、あなたからお先へ」
「はい」と娘、内へはいった。「どうぞお立ち寄りくださいまし」これは門内からいったのである。
 結城旗二郎いやになった。「『爺や爺やあけておくれ』『ヘーイ』ギー、門があいて、『お侍様えおはいりなすって』これではまるで待っていたようなものだ。おかしいなア、どうしたというのだ、薄っ気味の悪い屋敷じゃアないか」
 で改めて屋敷を見た。一町四方もあるだろうか、豪勢を極めた大伽藍、土塀がグルリと取り廻してある。塀越しに繁った植え込みが見える。林といってもよいほどである。
「この屋敷へノコノコはいって行くには、俺のみなり[#「みなり」に傍点]は悪過ぎるなあ」
 中身は銘《な》ある長船《おさふね》だが、剥げチョロケた鞘の拵えなどが、旗二郎を気恥ずかしくさせたのである。
 とまた娘の声がした。「お礼申しとう存じます、どうぞお立ち寄りくださいまし」
「度胸で乗り込め、構うものか」
 で旗二郎入り込んだが、これから大変なことになった。

        五

 ここは屋敷の一室である。
 三十五、六の武士が、旗二郎を相手に話している。
「ようこそお助けくださいました。千万お礼を申します。あれは娘でございましてな、名は葉末、年は二十歳、陰気な性質ではございますが、その本性はしっかりものでござる。……迂濶と申せば迂濶の至りで、自分自身の屋敷の前で、かどわかされようとしましたので。とはいえどうもこの屋敷、ご承知の通り甚だ手広く、たとえ門前で悲鳴いたしても、母屋へまでは容易に聞こえず、困ったものでございます。……おおおおこれは申し遅れました、拙者ことは当屋敷の主人、三蔵《みくら》琢磨にございます。本年取って三十五歳、自分は侍ではございますが、仕官もいたさず浪人者で、それに性来書籍が好きで、終日終夜|紙魚《しみ》のように、文字ばかりに食いついております次第、隠居ぐらし、隠遁生活、それこそ庭下駄を穿かないこと、二十日間にもわたろうかという、そんな生活をいたしております。……ははあ、あなた様でございましたか、なるほどなるほどご浪人で、ほほうお名前は結城旗二郎殿で、で、お年は? 二十三歳? それはそれは、ちょうどよろしい。二十歳と二十三歳、全く頃加減でございますからな。……ほほうさようで、御家人の御身で、天下の直参、まことに結構、何んの申し分がありましょう。……ははあご家計はご不如意とか? なんのなんのそのようなこと、問題になることではございません。……家計と申せば当家などは、それこそ人の羨むほど、豊かなものではございますが、そのためかえって煩い多く、敵さえあるのでございますよ。……が、まずそれはそれとして、もはや深夜でございますので、なにとぞ別室でお休みあって、明朝ゆるゆるお話をな。……いやはやこれはとんでもない、ご内室の有無も承わらず、おとめしようとは失礼いたしてござる。しかしどうやら拝見しましたところ、ご独身のように存ぜられますが。……あッ、さようで、それは幸い、やはりご独身でございましたかな。何から何までよい具合で。……それに大変武芸にも勝れ人品もよく骨柄もよく、お立派なものでございますよ。……ええとところで今夜でござるが、ひょっとか[#「ひょっとか」に傍点]すると当屋敷へ、襲って来る人間があるやも知れず、ええその際にはご武勇をな、ぜひともお揮い願いたいもので。……ええとそれからもう一つ、ひょっとかすると当屋敷に、ちょっと[#「ちょっと」に傍点]変わった事件が起こり、お驚かせするかも知れませぬが、決して決してご介意なく、安心してお泊まりくださるよう」
 三蔵琢磨というこの家の主人、こんな具合に話すのであった。
 その琢磨の風貌だが、まことに立派なものであった。
 艶々しい髪を総髪に結び、バラ毛一筋こぼしていない。広い額、秀でた眉、――それがノンビリと一文字である。軟らか味を持ち冴え返り、人情と智恵とを兼有したような、非常に美しい穏かな眼。鼻の高さ形のよさ、高尚という言葉さながらである。どこか女性的の小さな口。唇は刻薄に薄くもなく、さりとて卑しく厚くもない。で、やっぱり立派なのである。豊
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