て来た。
「拙者は小豆島紋太夫。東邦人の頭領でござる」
「拙者はオンコッコと申すもの。チブロン島国の酋長でござる」
こう両軍の大将は物々しげに宣《なの》り合った。
「何か謎語《めいご》がござる由《よし》、拙者必ず解くでござろう」自信あり気に紋太夫は云う。
「しからばこなたへおいでくだされい」
こう云ってオンコッコは歩き出した。十平太初め部下の者が紋太夫の後から続こうとするのを、オンコッコは手で止めた。そうしてたった[#「たった」に傍点]二人だけで林の中へ分け入った。ただし通弁のゴーだけは従いて行かなければならなかった。
三人はずんずん進んで行く。
林の中は薄暗くそしてほとんど道がなかった。しかし豪勇の紋太夫はびく[#「びく」に傍点]ともせず進んで行く。
行く手に巨岩が立っていた。数行の文字が刻《ほ》り付けられてある。
「これでござる」
と云いながらオンコッコは足を止め、指で石文字を差し示した。
[#ここから2字下げ]
この地上に一物あり
四脚にして二脚にて、三脚なり
しかして声は一あるのみ
四脚を用いて歩む時、彼の歩行最も遅し。
[#ここで字下げ終わり]
こういう意味のことが刻《ほ》り付けてあった。
「その一物とは何物じゃな? もしこの謎語を解くことが出来れば、大岩自然に左右に開く、とこう伝説に云われております。その一物とは何物じゃな?」
酋長オンコッコは得意そうに云った。
「何んだ詰まらないこんな事か。よろしいすぐに解いて進ぜる」紋太夫はカラカラと笑ったものだ。
「聞け、よいかさあ解くぞ。そもそも人間というものは、赤児《あかご》の時分には四つ脚がある。手が脚の用をするからじゃ。壮年時代に至っては云うまでもなく脚は二本だ。老人となって杖を突く、すなわち脚は三本となる。四つの脚を働かせて這い廻っている赤児時代に、人間は一番歩行が遅い、人間には声は一つしかない。謎の一物とは人間のことじゃ!」
こう叫んだそのとたんに、岩に刻られた文字が消えた。
そうして岩が二つに割れ、左右へ開いて道を作った。道のあなたに社殿がある、古びた小さい社殿である。
「一つの謎はこれで解けた。さあこんどは二番目だ」
酋長オンコッコは胆を潰したが、こう云って社殿の方へ走り出した。
社殿の棟から太い紐が長々と地の上に垂れていた、それは細い細い女の髪の毛を、千八重《ちやえ》に結んで出来た紐で、たといどのように根気よく幾年かかって解こうとしても人間業では解けそうもない。
「さあこの紐を解くがいい、細い髪の毛をバラバラに、一本一本解くがいい」
オンコッコは怒鳴り出した。
「うむ、これか」と云いながら、紋太夫は紐を握ったが、「一本一本解けばよいのか? バラバラに解けばよいのだな?」
「一本一本バラバラに解いて、それが神の御旨《みむね》に適《かな》えば社殿の奥から鈴が鳴る筈じゃ」
「よし心得た」と云ったかと思うと、紐を小脇に抱《か》い込んだ。
七
と、やにわに腰の太刀を掛け声も掛けず引き抜いたが、そのまま颯《さっ》と切り付けた。髪のより紐は中央《なかば》から断たれ、結ぼれていた髪の毛は瞬間にバラバラに解けてしまった。その時はたして社殿の奥からカラカラカラカラと鈴の音がした。
「おお鈴の音がする鈴の音がする。神がご嘉納なされたと見える」
オンコッコは仰天し、思わず両手を天へ上げたが、にわかに何か叫びながら社殿の格子戸を引き開けた。と、内陣の板の間に老土人が一人眠っていた。そうしてその側《そば》に少年がいた。しかし土人の子供ではない。白い肌、青い眼、黄金色の髪、紛れもないそれは欧羅巴《ヨーロッパ》人で、他ならぬそれはジョン少年であった。そうしてジョンは鈴の紐を両手に握って振っていた。そのつど鈴はカラカラと鳴る。
「こやついったい何者だ!」
オンコッコは怒鳴りながら、ジョン少年を睨《にら》み付けたが、老土人の側へツカツカと進み、
「起きろ起きろバタチカン」こう云って肩を揺すぶった。
バタチカンと呼ばれた老土人は、眼を覚ましてムックリ起き上がったが、
「おおこれは酋長様で」
「こやついったい何者だな?」ジョン少年を指差した。
「ああその子供でございますかな。欧羅巴《ヨーロッパ》人の子供だそうで」
「それでは俺達の敵ではないか」オンコッコは顔をしかめ、
「いったいどこから捕らえて来たのだ?」
「ドームの森の附近《ちかく》だそうで」
「誰がいったい捕らえたのだ?」
「物見に行った仲間達で」
「何故俺達の敵の子を神聖な社殿などへ隠匿《かくま》うのだ?」
「あまり不愍《ふびん》でございましたから」
「不愍とは何んだ。何が不愍だ」
「この子を捕らえた仲間達は、戦勝を祈る犠牲《にえ》だと申して、この子を神の拝殿の前で焼き殺そうと致しました、見るに見かねてこの私が命乞いを致したのでございます。私は祭司でござります。神の御旨《みむね》はこの私が誰よりも一番存じております。神は助けよと申されました」
祭司バタチカンはこう云いながらジョン少年を引き寄せようとした。
酋長オンコッコは月形をした長い太刀を引き抜いたが、左の腕でジョン少年を捕らえ、自分の方へ引き寄せた。怯《おび》えて泣くジョン少年。バタチカンはひざまずいて何やらブツブツ云い出したのは神へお祈りでもするのであろう。
オンコッコは力をこめてジョン少年の胸の辺を偃月刀《えんげつとう》で突き刺そうとした。とにわかに手が麻痺《しび》れた。
「お待ちなされい!」と沈着《おちつ》いた声。紋太夫が背後《うしろ》に立っている。オンコッコの腕は紋太夫の手の中にしっかり握られているのであった。
「女子供には罪はない。女子供は非戦闘員でござる。助けておやりなさるがよい」紋太夫は静かに云った。
「おお助けよとおっしゃるなら助けないものでもござらぬが、それには償いがいり申すぞ」オンコッコは憎さげに云う。
「拙者代わって償いましょう」
「この深い深い林の中を西へ西へと三里余り参ると一つの大きな巌窟《いわや》がござる。巌窟《いわや》の中に剣《つるぎ》がござる」
「ははあそれではその剣を持って参れと云われるのか」
「さよう」とオンコッコは頷《うなず》いた。
「いと容易《やす》いことじゃ。すぐに参ろう」
こう云うと紋太夫は社殿から下りて林の中へはいって行った。
彼はズンズン進んで行く。
「ははあこれだな」
と呟《つぶや》きながら、大岩の前に彳《たたず》んだのは、それから三時間も経った後で、永い永い南国の日も今は暮れて夜となっていた。
彼の眼前に大岩が――大岩というより岩山が、高さ数十丈広さ数町、峨々《がが》堂々《どうどう》として聳《そび》えていたが、正面に一つの口があってそこから内へはいれるらしい。
「内は暗いに相違あるまい。松火《たいまつ》を作る必要がある」
紋太夫はこう思って、枯れ枝を集めに取りかかった。やがて松火が出来上がる。燧石《いし》を打って火を作る。松火は焔々と燃え上がった。
で、紋太夫は元気よく、しかし充分用心して窟《いわや》の内《なか》へはいって行った。道が一筋通じている。その道をズンズン歩いて行く。
やがて一つの辻へ出た。道が二つに別れている。紋太夫はちょっと考えてから左の方へ進んで行った。道はきわめて平坦でそして天井も高かった。しかし幅はかなり狭く、腕を左右に拡げると、指の先が岩壁へ届くのであった。
八
紋太夫はズンズン進んで行く。
とまた辻へ現われた、道が四つに別れている。で、同じように左を取って彼は躊躇《ちゅうちょ》せず進んで行った。行くにしたがって次々にほとんど無際限に辻が現われた。そうして全く不思議なことには、二、四、八、十六というように、枝道の数が殖《ふ》えるのであった。こうしてとうとう十回目の辻の前へ立った時、彼はすっかり当惑した。一千〇二十四本の枝道が別れているではないか!
「むう、さては迷宮だな」初めて彼は気が付いた。
「うかうか先へは進まれない。今のうちに引っ返すことにしよう」さすがの彼も心細くなり、元来た道へ引き返そうとした。しかしその時彼は一層当惑せざるを得なかった。どれも、これも同じような道である。今来た道がどれであるか全く見分けが付かないのであった。
「…………」彼は無言で立ち止まった。初めて恐怖が心に湧いた。
「この無数の枝道のうち戸外《そと》へ出られる道と云えば、今自分が通って来たその道以外にはありそうもない。その他の道は迷路に相違ない。むう、こいつは困ったぞ。戸外《そと》へ出られる肝心の道を俺はすっかり見失ってしまった。それをいちいち調べていた日には十日も二十日も掛かるだろう。食物がない。水がない。みすみす俺は餓え死ななければならない。土人酋長オンコッコめさては俺を計ったな!」
紋太夫は歯噛みをしたけれどどうすることも出来なかった。
そのうちに松火《たいまつ》の火も消えた。四辺《あたり》は真の如法暗夜《にょほうあんや》。そうして何んの音もない。
紋太夫は生きながら地の中へ全く葬られてしまったのである。
こうして幾時間か経たらしい。
その時一つの枝道の、奥の方から一点の赤い火の光が見えて来た。
「おお」と思わず歓喜の声が紋太夫の口から飛び出したのはまことにもっとものことである。いわば地獄での仏《ほとけ》である。彼は勇気を振り起こし、火の光の方へ走って行った。近付くままによく見れば、そこは小広い部屋であって、一人の女が火を焚いている。打ち見たところ土人の娘であるが、どことなく様子が違っている。
紋太夫は側《そば》へ寄って行った。そうして手真似《てまね》で話し出した。
「あなたはいったい何者です? ここで何をしておられるのです!」
すると娘も覚束《おぼつか》ない手真似で、
「妾《わたし》は巫女《みこ》でございます。ここが妾の住み家なのです」こうようやく答えたのである。
「拙者は東邦の人間でござるが、計らず洞中へ迷い入り、帰りの道を失ってござる。あなたのご好意をもちまして洞窟外へ出るを得ましたら有難き仕合せに存じます」
「それはとうてい出来ますまい」
これが巫女の返辞であった。
「それはまた何故でござりますな?」
「何故と申してこの妾《わたし》も、やはり出口を存じませぬゆえ」
「おおあなたもご存じない?」
「はい妾も存じませぬ。物心ついたその頃から妾はずっ[#「ずっ」に傍点]とこの洞内に起き伏ししておるのでございます」
「食物もなく水もなくどうして活《い》きておいでなさるな?」
「いえいえ水も食物も、運んでくださる方がござります」
「それは何者でござるかな?」
「妾は一向存じませぬ」
「ご存知ないとな、これは不思議」
「きっと妾のお仕えしている尊い尊い壺神様《つぼがみさま》がお運びくださるのでござりましょう」
紋太夫は早くも聞き咎《とが》めた。
「何、壺とな? 壺神様とな?」
英国の探険家ジョージ・ホーキン氏は、愛児のジョンを失ったことを、驚きも悲しみもしたけれど、そこは冷静な英人|気質《かたぎ》、あわても血迷いもしなかった。
彼は部下を呼び集め、今後の方針について物語った。
「我々の露営もかなり久しい。土人の様子もたいがい解った。平和手段では駄目らしい。で船を出し海峡を越え砲火を交じえて征服しよう。しかし、聞けば不思議な軍艦が、ビサンチン湾に碇泊し、やはり我々と同じようにチブロン島を狙っているそうだ。まず使者を遣《つか》わして彼らと一応商議しようと思う」
「賛成」
と部下達は一斉に叫んだ。
そこで二十人の部下達は、後備《こうび》少佐ゴルドンという勇敢な軍人に引率され湾を指して出発した。
往復三日はかかるであろう。……こういう予定で出発したのが五日になっても帰って来ない。で、不安には思ったけれど、待っていることも無意味だというので、いよいよホーキン氏は全軍を率いチブロン島へ襲撃し土人と一戦することにした。
九
ホーキン氏の率いる遠征隊が、チブロン島へ上陸するや否や
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