で道を間違える心配はない。
 半刻余りも歩いた頃、遙か行く手の闇を染めて薔薇色《ばらいろ》の光が射して来た。
「ははあ、何者かいるらしい。いずれ悪者の仲間であろう」
 呟《つぶや》きながら紋太夫は足早にそっちへ進んで行った。はたして一人の大男が、狭い坑道に立ちはだかり[#「はだかり」に傍点]、豪然《ごうぜん》と焚火《たきび》に当たっていたが、紋太夫を見ると、手を拡げ、大きな声で叫び出した。何の事だか解らない。
 そこで紋太夫は十八番の手真似をもって話しかけた。
「何用あって俺を止めた」まずこれから食ってかかる。
「見れば見慣れない人間だが、貴様はいったい何者だ?」大男は聞き返した。
「俺は東邦の人間だ。壺の神の神殿へ行く」
「おお行きたくば行くがよい。しかしその前にこの関門を、貴様どうして通るつもりだ」
「関門とは何だ? 何が関門だ?」
「すなわちここが関門よ。そうして俺こそ関守《せきもり》よ」
「関門であろうと関守であろうと、俺は腕ずくで通って見せる」
「腕ずくでは駄目だ、智恵で通れ」
「おお面白い。何でも尋《たず》ねろ。紋太夫即座に答えて見せる」こう云うとポンと胸を打った。
「それ訊《き》くぞ。答えろよ」大男はニヤリと笑った。
「使えば使うほど殖えるものは何んだ?」
「へん、べらぼうめ。そんな事か。他でもねえ人間の智恵だ。さあドシドシ訊くがいい」紋太夫は大得意だ。
「形がなくて声がある、早く走るけれども足がない。これは何んだ、当てて見ろ」
「いよいよ益※[#二の字点、1−2−22]愚劣だな。それは風と云うものだ。さあ何でも訊くがいい」
「だんだん肥えてだんだん痩せる。死んでも死んでも生まれるものは何んだ?」
「智恵のねえ事を訊きゃあがるな。それはな、空のお月様だ」

        十四

「さあ今度は貴様が訊け」大男はとうとう我を折った。
「よし訊くぞよ、答えるがいい。……大きくて小さく、形あって形ない。これは何んだ? さあ答えろ!」
 紋太夫は大喝《だいかつ》した。
「むう」と云ったが大男は返辞をすることが出来なかった。
「どうだ?」と紋太夫は嘲笑い、「返辞が出来ずば関を通せい」
「仕方がねえ。通るがいい」
 大男は片寄った。そこを眼がけて駈け抜ける。
「大きくて小さく、形あって形なし、――どうも俺には解らねえ。いったいこれは何者だな?」
 大男は訊いたものである。
「実は俺にも解らねえのさ! そんな物は世にあるまい。アッハハハ」と駈け過ぎる。
「いやはや馬鹿な奴ではある。うまく一杯食いおったわい」
 こう心地よげに呟きながら、松火《たいまつ》の光で道を照らし先へ先へと進んで行った。
 とまた遙か行く手に当って蒼白い光が見えて来た。近付くままによく見れば、肥えた傴僂《せむし》の老人《としより》が岩に一人腰掛けている。背後《うしろ》の岩壁を刳《く》り抜いてそこに灯皿《ほざら》が置いてあったが、そこで灯っている獣油の火が蒼然と四辺《あたり》を照らしている態《さま》は、鬼々陰々たるものである。
 と見ると老人《としより》の足もとに深い穴が掘ってある。
 消え入るような悲しそうな声で何やら老人は話しかけた。しかし紋太夫には解らない。彼は手真似で訊き返した。
「足を洗わせてくださいませ」こう老人は云っているのであった。「諸人の足を洗うのが私の役目でござります。罪障消滅のそのために足を洗わせてくださりませ」繰り返し老人は云うのであった。
「変わった事を云う奴だな。これは迂濶《うかつ》には信じられぬ」心中怪しく思いながら、紋太夫は思案した。「岩から泉水《いずみ》が流れている。ははあこの水で洗うのだな。……ここに深い穴がある。穴! 穴! これが怪しい」
 この時忽然彼の心へ、老人の姦計が映って見えた。「ううむそうか。よく解った。そっちがそういう心なら、こっちはその裏を掻いてやろう」
 つと紋太夫は片足を老人《としより》の前へ突き出した。とたんに老人は膝を突き、その足首を掴んだが、真っ逆さまに紋太夫を穴の中へ投げ込もうとした。
「えい!」と云う裂帛《れっぱく》の声、紋太夫の口から※[#「しんにゅう+奔」、189−5]《ほとば》しると見るや、傴僂《せむし》の老人の小さい体は、幾十丈幾百丈、底の知れない穴の中へもんどり打って蹴落とされた。
「人を咒《のろ》わば穴二つ、いい気味だ、態《ざま》ア見ろ」
 じっと穴の中を見込んだが、文目《あやめ》も知れぬ闇の底から冷たい風が吹いて来るばかり、老人の姿は見えなかった。
「なるほど巫女の云った通り、小気味の悪い悪人どもが到る所に蔓延《はびこ》っているわい」――油断は出来ぬと心を引き締め、松火《たいまつ》の火を打ち振り打ち振り紋太夫は進んで行く。
 奇数、偶数、奇数、偶数! ――幾百ないし幾千本、どれほ
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