、見るに見かねてこの私が命乞いを致したのでございます。私は祭司でござります。神の御旨《みむね》はこの私が誰よりも一番存じております。神は助けよと申されました」
 祭司バタチカンはこう云いながらジョン少年を引き寄せようとした。
 酋長オンコッコは月形をした長い太刀を引き抜いたが、左の腕でジョン少年を捕らえ、自分の方へ引き寄せた。怯《おび》えて泣くジョン少年。バタチカンはひざまずいて何やらブツブツ云い出したのは神へお祈りでもするのであろう。
 オンコッコは力をこめてジョン少年の胸の辺を偃月刀《えんげつとう》で突き刺そうとした。とにわかに手が麻痺《しび》れた。
「お待ちなされい!」と沈着《おちつ》いた声。紋太夫が背後《うしろ》に立っている。オンコッコの腕は紋太夫の手の中にしっかり握られているのであった。
「女子供には罪はない。女子供は非戦闘員でござる。助けておやりなさるがよい」紋太夫は静かに云った。
「おお助けよとおっしゃるなら助けないものでもござらぬが、それには償いがいり申すぞ」オンコッコは憎さげに云う。
「拙者代わって償いましょう」
「この深い深い林の中を西へ西へと三里余り参ると一つの大きな巌窟《いわや》がござる。巌窟《いわや》の中に剣《つるぎ》がござる」
「ははあそれではその剣を持って参れと云われるのか」
「さよう」とオンコッコは頷《うなず》いた。
「いと容易《やす》いことじゃ。すぐに参ろう」
 こう云うと紋太夫は社殿から下りて林の中へはいって行った。
 彼はズンズン進んで行く。

「ははあこれだな」
 と呟《つぶや》きながら、大岩の前に彳《たたず》んだのは、それから三時間も経った後で、永い永い南国の日も今は暮れて夜となっていた。
 彼の眼前に大岩が――大岩というより岩山が、高さ数十丈広さ数町、峨々《がが》堂々《どうどう》として聳《そび》えていたが、正面に一つの口があってそこから内へはいれるらしい。
「内は暗いに相違あるまい。松火《たいまつ》を作る必要がある」
 紋太夫はこう思って、枯れ枝を集めに取りかかった。やがて松火が出来上がる。燧石《いし》を打って火を作る。松火は焔々と燃え上がった。
 で、紋太夫は元気よく、しかし充分用心して窟《いわや》の内《なか》へはいって行った。道が一筋通じている。その道をズンズン歩いて行く。
 やがて一つの辻へ出た。道が二つに別れている。紋太夫はちょっと考えてから左の方へ進んで行った。道はきわめて平坦でそして天井も高かった。しかし幅はかなり狭く、腕を左右に拡げると、指の先が岩壁へ届くのであった。

        八

 紋太夫はズンズン進んで行く。
 とまた辻へ現われた、道が四つに別れている。で、同じように左を取って彼は躊躇《ちゅうちょ》せず進んで行った。行くにしたがって次々にほとんど無際限に辻が現われた。そうして全く不思議なことには、二、四、八、十六というように、枝道の数が殖《ふ》えるのであった。こうしてとうとう十回目の辻の前へ立った時、彼はすっかり当惑した。一千〇二十四本の枝道が別れているではないか!
「むう、さては迷宮だな」初めて彼は気が付いた。
「うかうか先へは進まれない。今のうちに引っ返すことにしよう」さすがの彼も心細くなり、元来た道へ引き返そうとした。しかしその時彼は一層当惑せざるを得なかった。どれも、これも同じような道である。今来た道がどれであるか全く見分けが付かないのであった。
「…………」彼は無言で立ち止まった。初めて恐怖が心に湧いた。
「この無数の枝道のうち戸外《そと》へ出られる道と云えば、今自分が通って来たその道以外にはありそうもない。その他の道は迷路に相違ない。むう、こいつは困ったぞ。戸外《そと》へ出られる肝心の道を俺はすっかり見失ってしまった。それをいちいち調べていた日には十日も二十日も掛かるだろう。食物がない。水がない。みすみす俺は餓え死ななければならない。土人酋長オンコッコめさては俺を計ったな!」
 紋太夫は歯噛みをしたけれどどうすることも出来なかった。
 そのうちに松火《たいまつ》の火も消えた。四辺《あたり》は真の如法暗夜《にょほうあんや》。そうして何んの音もない。
 紋太夫は生きながら地の中へ全く葬られてしまったのである。
 こうして幾時間か経たらしい。
 その時一つの枝道の、奥の方から一点の赤い火の光が見えて来た。
「おお」と思わず歓喜の声が紋太夫の口から飛び出したのはまことにもっとものことである。いわば地獄での仏《ほとけ》である。彼は勇気を振り起こし、火の光の方へ走って行った。近付くままによく見れば、そこは小広い部屋であって、一人の女が火を焚いている。打ち見たところ土人の娘であるが、どことなく様子が違っている。
 紋太夫は側《そば》へ寄って行った。そうして手
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