る[#「ひったくる」に傍点]と、蹴放されたままで、月光を射し込ませている表戸の開間《あきま》から、戸外《そと》へ走り出た。
その後を追って佐五衛門も走った。
と、その時、捕り方の叫ぶ声が聞こえて来た。
「方々、ご用心なされ、三国峠の権の手下五人が、この湯宿に、権めを待ち迎えおるということでござるぞ!」
(あッ)
と佐五衛門は、それを聞くと、思わず口の中で叫んだ。そうして思った。
(そうか、これで解った、炉端に集まっていた五人の湯治客、三国峠の権の手下だったんだ。あいつらの話した話は――片耳を切られた武士《さむらい》の話は、権の過去の出来事だったんだ。ああいう話を俺《おい》らに聞かせておいて、こんな場合に、味方になってくれと謎をかけたんだ。それに違えねえ。……つづけざまにあんな目に逢わされりゃア誰だって悪党にならア。……三国峠の権、根は善人とも!)
谷の方から竹法螺の音《ね》が聞こえたので、捕り方たちは、三国峠の権が捕えられたと思ったのだろう、屋内や木蔭などから走り出し、谷を目ざして走って行った。と、その隙を狙い、五人の手下に護られた三国峠の権が、谷とは反対の、山の方へ遁がれて行くのが見られた。一刻も早く姿を隠さなければならなかった。見れば、主屋と離れて、山の中腹にかけ[#「かけ」に傍点]づくりになっている別館《はなれ》があって、主屋と廊下でつながれていた。あの別館へ一時身をかくし、手下どもが用意して来た衣裳と着換えよう――こう権は思った。そこで崖をよじ上り、廊下へ這い上がった。部屋の中へ駆け込もうとしたとたんに、
「……権よ! この耳を切っておくれ!」
という女の声が聞こえ、部屋から女が走り出して来た。
「…………」
「…………」
権之介――三国峠の権と松乃とはヒタと顔を合わせた。
谷からは尚お蘭の吹く竹法螺の音が聞こえて来ていた。
「権! ……権之介様、恨みある妾の耳を、さあお切りくださいませ!」
谷からは、――本当は悪党ではない三国峠の権よ、早くここから逃げておくれというように、お蘭の吹く竹法螺の音が聞こえて来た。
「俺ア」
と権は云った。
「お前なんか知らねえ、昔から今までお前のような女知らねえ」
松乃は廊下へ仆れた。
耳の痛みが次第に消えて行く中で彼女は思った。
(救われた! 妾は救われた)
三国峠の林の中を、五人の手下と一緒に、
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