が、それがかえって情的でもある、難波屋《なんばや》おきたは小判を見ながら、辞儀をしたものの眉をひそめた。
(この人微禄の身分だのに、随分派手にお金を使う)
 こう云う不安があったからである。
 いつも媾曳《あいびき》をするこの船宿にも、かなりの払いをするようだし、そのほか色々あれやこれや……。
「ねえ」
 とおきたは甘えた声の中へ真面目さをこめて男へ云った。
「無理な算段などなされずにねえ」
「大丈夫だよ、大丈夫だよ」

 今日も浅草随身門内の、水茶屋難波屋の店に立って、おきたは客あしらいに余念なかった。
 白飛白《しろがすり》を着たおきたの姿が、豊国によって描かれて、それが市中へ売り出されたのは、ほんの最近のことであり、飛ぶように売れて大評判であった。
 来る客来る客が噂して褒めた。
「左の手に団扇《うちわ》を提げ、右手に茶盆を捧げた、歌麿の描いた絵もよかったが、今度のはまた一段とねえ」
 などと云うものがあるかと思うと、
「襦袢の襟《えり》に鹿《か》の子をかけ、着物の襟へ黒繻子をかけ、斜めに揃えた膝の上へ、狆《ちん》を一匹のっけたところを描いた、栄之の一枚絵もよかったが、今度のはいっそサラリとしていい」
 こう云って褒めるものもあった。
 ――容色極メテ美麗ニシテ愛嬌アフルルバカリナリ。茶代ノ少キ客トイエドモ軽ク取リ扱ワズ、況ンヤ多ク恵ム者ニオイテヲヤ。――
 と書かれたおきたであった。どの客にも愛想よく接した。今日はわけても褒められるので、心うれしく立ち振る舞った。
 と店先を人々と混《まじ》って、網代の笠を冠った新発意《しんぼち》が、その笠をかたむけおきたを見ながら、足を早めて通って行った。

        二

「あ」
 とおきたは口の中で叫び、急いで店先きまで小走って行き、その新発意を見送った。
 新発意は幾度となく振り返った。
(またあのお方が通って行く。……似ている。……いいえ酷似《そっくり》だ! ……あのお方に相違ない。……では妾はここにはいられぬ。……妾の身分があの人によって。……でもどうしてあのお方がご出家なんかしたのであろう?)
 恋しい人……憎い人……秘密を知られた人……弥兵衛様……今は新発意――その人のことが彼女の心を、この日一日支配した。

「おきた、わしはもう駄目だ。わしはもう江戸にはいられぬ」
 いつもの船宿へおきたを呼び出し、貝
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