取られなかったのだろう?)
 という、そういうことであった。
 しかしもし彼が雲水となって、奥州塩釜の里へ行き、なにがしという尼寺を訪ね、法均《ほうきん》という尼の口から、身の上話を聞いたなら、疑問は氷解したことと思う。
 法均は人へこう話すそうな。
「わたしが難波屋おきたといって、浅草の境内におりました頃、あるお侍さんに誘われて、道行きをしたことがございました。するとわたしたちの後をつけて、それ以前にわたくしと縁のありました、若い新発意が追って参りました。そこでわたしはお侍さんに勧めて、新発意を殺させようといたしました。ところがどうでしょうその新発意は、街道に立って合掌し、『わたしは快く死にまする。どうぞお斬りくださいまし』と、こう申したではありませんか。それはまアどうでもよいとして、そう云いました時の新発意の姿が、浅草寺にある仏様の、ご一体そっくりに見えましたので、わたくしはお侍さんの袖を引いて、いそいで逃げてしまいました。ところが貝塚[#「貝塚」は底本では「見塚」]三十郎という、そのお侍さんの眼には新発意の姿が――俗名は弥兵衛、法名は源空――その人の姿がこれも仏様の、不動明王に見えましたそうで、『わしの過去の罪業を不動様が責めるわ責めるわ』と云って、間もなく狂死いたしました。そこでわたしは仏門に入り」……と。
 ――けだしあの時源空が、人間無差別の悟りに徹し、死を覚悟した尊い態度[#「態度」は底本では「熊度」]がおきたや三十郎の心を打って、死をまぬかれたものらしい。



底本:「怪しの館 短編」国枝史郎伝奇文庫28、講談社
   1976(昭和51)年11月12日第1刷発行
入力:阿和泉拓
校正:多羅尾伴内
2004年11月24日作成
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