しかったことなのかい。悲しいお話なら止《や》めにしましょうよ。(間)お前さんが此処へ来たからには、これからはもう悲しいこと寂しいことばかりが、一生つづいて来るのです。……わざわざ昔の悲しいことまで思い出さずともよいのだよ。
少年 いいえお姉様! 悲しいことでもないのよ。ただ忘れられないことなのよ。ええ、ええ、少しは悲しいことだけれど。……それはね、私のほんとに小さい頃のお話よ。或る日私はね、揺籠《ゆりかご》に乗ったままお庭の何処《どこか》へ置かれていたのよ。私の頭の上には広い広い青い幕が丸く一ぱいに広がっていたのよ。
女子 それは晴れきった青空でしょう。
少年 彼方《あっち》からも此方《こっち》からも可愛い声で、私を呼んだり挨拶をしたりして、美しい色の間を飛び廻っているものがあるの。
女子 小鳥が花の間で啼いていたんですわ。
少年 私はじっと黙ってそれを聞いていると、いい香りの風が私の顔をさすって行くのよ。……私は母指を口の中に入れて、それをチュウチュウと吸いながら、眼を細めて呆然《ぼんやり》としていたの、けれども私は寂しかったのよ。何故ってね、一人も私の傍に人がいないんですもの、いつ
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