もお客様も、皆お待ちかねでござりますれば、早く御出で下さるよう。
公子 (頷きて)おお、それはそうありそうなこと。(女子に向かい)明日の贈物《かずけもの》の貴女のお顔を皆の者にお見せ下されて、贈物がどのように美しく気高く値《あたい》あるかをお知らせなされませ。(女子の手を取り)そしてその贈物を屹度手に入れて見せると云うて、天地の神々は愚か、母の魂にまで誓った一人の若者が、この館にいることをも皆の者にお知らせなされて下さりませ。(二人の使女に向かい)俺は残念ながら、明晩の競技までは誰にも面会は致さぬ決心故、さようお父上に申しくれい。(大いなる決心を見せ)あの月が沈むまで(と窓外の月を眺む)、死に行く人魚の歌を(と高殿を見)、あの高殿で弾くことにしよう。(と階上に昇り行く)
使女A さあお嬢様、皆様のお待ちかねの、酒宴の席へ参りましょう。
使女B そのお美しい御様子を、風流の方々へお見せ遊ばしませ。(と左右より手を取る。奥にて笑声)
女子 (取られし手を払い)私は奥へは行きはせぬ。
使女A それなら、どう遊ばすのでござります。
女子 (月を眺め)月の光に照らされて、この室にいつまでもいるつもり。
使女B それでもお殿様やお客様の方々が、お待ちかねでござりますのに。
女子 待つ人の心と、待たるる人の心とが、離ればなれなら致し方がないではないかえ。
使女A 紫の袍を着て、桂の冠をかむり、銀の竪琴を持った方がおいでなされぬ故、そのように申すのでござりましょう。
女子 そうだと云うても、お前方は笑ってくれてはいけぬぞえ。(と面をかくす)
使女B 笑いなどは致しませぬが、使いに参った私どもが、お殿様やお客様へ、何んと御返事を申し上げてよいやらと、それに当惑致します。
女子 いえいえ、少しも云い憎いことはない故に、ありのままを申しておくれ(使女二人は困却せる風にて立ち尽くす。奥にて大勢の笑声。間もなく大勢の足音。――童四人と使女四人とに燭を持たせ、領主及び大勢の騎士、音楽家左の口より出場)
領主 (微酔《ほろよい》)使いの者の遅いのは、また嬢が苦情を申して、早速は来ぬのだろうと察した故、我等の方より出て参った。(騎士、音楽家を返り見、女子を指しながら)これ見られい、明日の勝利の贈物は、このように美しい。この美しさを方々《かたがた》は何んと形容なさるかな、宝玉の名でも花の名でも、色の名でも形容は出来ますまい。
白髪の音楽家 (群衆の最後の列にあり、紅顔なれど白髪、手に銀の竪琴を持つ。それをかき鳴らして進み出で)お嬢様の美しさは、この銀の竪琴の音のようでござります。(一同の騎士、音楽家驚きてその人を見る。その人は静々と場の中央に進む。一同はその音楽家を左右に取りかこむ。女子と老人と向かい合って立つ)
領主 嬢の美しさが銀の竪琴の音のようだとは、当意即妙の讃辞《ほめことば》。(と一同を見)方々もさように覚しめすか、如何でござる。(一同の騎士、音楽家は一斉に頷き笑い、互いに語り合うて各自の楽器を鳴らす。その音、場に充《み》つ。女子は少しく進みて老人を見る。知らぬ人なれば直《ただ》ちに視線をそらして左右の騎士音楽家を見廻し、情人はおらずやと尋ぬれど無し。失望して無音)
領主 (一同に向かい)嬢は機嫌が悪いと見えて、方々に何の挨拶もしない。嬢には時々このような時がある。これは嬢に悪い影がさしていて、時々その影が心をくらますからでござる。
白髪の音楽家 僕《やつがれ》がお嬢様のお機嫌を直してお見せ申しましょう。
領主 いやいやそれは、無駄のことと思われるが。
白髪の音楽家 僕はこの銀の竪琴でどのような悪い影でも追いしりぞけることが出来まする。
領主 (疑わしげに、その音楽家を眺め)その銀の竪琴に何かの呪《まじない》でも籠っていると云うのでござるかの。
白髪の音楽家 世の中の不思議と云う不思議は、皆この銀の竪琴に籠っていると申しても過言ではござりませぬ。(間)これはFなる魔法使いの持っていた竪琴でござります。
領主 Fなる魔法使いとは、どのような魔法使いでござるかの。――紫の袍を着て、桂の冠をかむり、銀の竪琴を持った、若い騎士姿の音楽家ではござらぬか。
白髪の音楽家 Fなる魔法使いは、国々の北から南へ旅をして歩く、音楽家で、「暗と血薔薇」の曲を上手に弾きまする。
女子 (熱心に進み出で)「暗と血薔薇」の曲を上手にお弾きなされますと。
領主 (同じく熱心に)その魔法使いは、今どこ[#「どこ」に傍点]にいるのでござるかの。
白髪の音楽家 (口調ある朗吟的の言葉にて)レモンの花の咲く南の国の人々が、夢よりも虹よりも果敢《はかな》い歓楽にふけっている中に、暗と血薔薇が芽を吹いて、温室の中の子胞よりも生々と、罪悪の香を漲らせます。(間)夕暮の神の白い素足が後園の階段へ
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