とられました。――ああ、禍いはそこから来たのでござります。
女子 昨夜の老人が、昨夜の姿のままで銀の竪琴を手に持って、立ち現われたのではないのかえ。
従者 その通りでござります、お嬢様はどうしてそれをご存じでいらっしゃりまする。
女子 呪詛《のろ》われた神経が、私の呪詛われた神経が、そうだと私に告げている。
従者 呪詛われた神経はお嬢様ばかりがお持ちなされていたのではござりませぬ。音楽堂に集っていた数知れずの騎士、音楽家、さては近在の人々や、祝歌を歌う小供まで皆、恐ろしい呪詛にかかっていたのでござります。と申しますのは、その不思議の老人が銀の竪琴をかき鳴らし、しずしずと壇の上へ昇って行くのを誰もひきとめずさえぎらず[#「さえぎらず」に傍点]、あるがままに茫然と見ていたことでよく解りまする、(間)はい、堂内の人々は皆もう茫然《ぼんやり》と見ていたばかりでござります。そして掻き鳴らす銀の竪琴の音に魂までも打ちこんで聞き惚れていたのでござります。(間)ああ、あの悲しげに悩ましげに、震えて鳴った竪琴の弦!
女子 その老人の歌うた歌は? 銀の竪琴の弦に合わせて、その老人の歌うた歌は?
従者 まあお待ち遊ばしませ。……聴衆は、眠り薬と惚れ薬とを一緒に飲ませられた人のように、首を垂れ耳を澄まし、そしてあの恐ろしいことには、丁度昨夜のあの時のように、人々はいずれも片膝をつき、自分の楽器を顎に埋め、感に堪えた時、時々それをかき鳴らし、聞き惚れていたのでござります。
女子 そして、その銀の竪琴の曲は?
従者 それをお話し致す前に、まだまだお話し致すことが沢山にござります。――で、その魔法使いのような老人が壇上に立って、ものの二十分も銀の竪琴を掻き鳴らしました。それを聞いている中に、人々の眼からは悲しみの涙が熱く流れ、あわれの運命を傷む溜息が、唇から漏れ、肩を震わせて歌の心に同情致しました。そして、その曲を聞いてる人々の眼には、紺青の海の上を、赤き帆を上げて行く幻の舟と、それを追って行く人魚の、艶に美しい肩と乳房と、長き黒髪とが見えていました。(間)銀の竪琴の音に連れて、老人はこのように歌うのでござります。

[#ここから2字下げ]
幻の美しければ
海の乙女の
あわれ人魚は
舟を追う。
波を分けて舟を追う。
月は青ざめぬ
屍に似たる水の色。
[#ここで字下げ終わり]

女子 (驚き)ああ
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