て中世紀頃の型を用う。
時 夕暮れ落日の頃。
季 初夏。薔薇、レモンの花盛り。
領主 (品位ある風采、この時代の豪族に似つかわしき服装、腰に剣をつるす。左の窓口によりて湾の風景を眺む。)今日の夕日は平素《いつも》よりは別して美しく静かに見える。小鳥や風に送られて日は海に沈まんとし、猩々緋の雲は戦《いくさ》の旗のように空の涯《はて》を流れている。沈まんとする日の美しさはどうだ。黄金の車が焼け爛れながら水晶盤の上へ落ちるようだ。櫛の歯のような御光は珊瑚をとかして振り撒いたような空と海とへ、霧時雨《きりしぐれ》のようにふりそそいでいる。その光は一刻一刻に変わり、その色は次第次第に移って行く。沈まんとする日の上には猶太《ユダヤ》王の袍《ほう》に似た、金繍のヘリ[#「ヘリ」に傍点]ある雲の一群がじっと動かずに浮かんでいる。その雲の上には風信子石のような星が唯一つ、淡く光っているが、やがて日が沈みきると一緒にダイヤモンドのようにキラキラと輝くのであろう。その星の上は緑青《ろくしょう》のように澄んで青い夕暮れの空で、風が小鳥の眠りを誘うように、やさしくやさしく渡っている。(間)猶太王の袍に似た雲が動き出した。錦《にしき》の蛇のように長く細く延びて行く。風が吹くからだろう。細く長く延びた雲は日の面を掠めるばかりにして、海の面へ垂れ下がって来る。(間)海は親切の心を持っているように、雲の影を残らずうつしている。(語を強め)海は寛大だ!
従者 (始めより領主の後方に謹んで彳《たたず》みいる、白髪、忠実質朴の風采、恐る恐る小さき声にて)御前様《ごぜんさま》。
領主 (聞こえぬ如く)海は寛大だ。海は聖人の心のように寛大だ! だがしかし、また法官のように冷やかで厳かで一点の偽りも許さない。仮面偽体虚飾の悪徳は、この海の鏡にうつった時、すっかり化けの皮が剥げてしまう。海は鏡だ。だからあるがままに空の色や光や形が映るのだ。
従者 御前様。
領主 (聞こえぬ如く)それにしても今日の海の美しく平和のことはどうだ。今までもかなり平和で美しい夕べはあったけれど、今日のように漣《さざなみ》一つ立たず、飛魚一つ躍らぬと云うことはなかった。今日の静けさは美人の死のようだ。
従者 (気づかわしげに)美人の死のようだ!
領主 (急に振り返り)何時《いつ》からおまえはそこにいたのか。
従者 はい、先刻からお呼び申
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