を澄まし)七弦琴の音がする。私の幼《ちいさ》い頃、この室へ来ぬ前に、弟と一緒に弾いた七弦琴の音がする。(一層《ひときわ》高く七弦琴鳴る。その音絶えると同時に、堅き鉄の扉は自《おのず》と開けて一人の愛らしき少年現われる。手に七弦琴を持つ)
少年 (女子を眺め)お姉様!
女子 (驚き)誰なの?
少年 (無邪気に、さも悦《うれ》しげに)お姉様、お姉様、私はお姉様を尋ねて来たのよ。
女子 お前さんは誰なの?
少年 ヨハナーンよ!
女子 ヨハナーン?
少年 お姉様の弟の。
女子 弟?
少年 お姉様! お姉様は私を見忘れたの! 私はお姉様の弟のヨハナンよ!
女子 (少年を凝視し、にわかに馳せ寄る)ヨハナーン! ヨハナーン! ほんとにお前は私の可愛いヨハナーン!
少年 (姉にすがり)お姉様! (となつかしげに顔を見る)
女子 (少年を抱き幾度も接吻し)ヨハナーンや、私の大事の大事のヨハナーンや! どうしてこんな[#「こんな」に傍点]所へ来たの? え、どうして此様所《こんなところ》へ来たのです。
少年 (なつかしげに。姉に接吻し)お姉様に逢いに来たのよ。……そしてあのお歌を聞きに!
女子 あのお歌?
少年 ええ、ええ、お姉様のお歌を聞きに来たのよ。
女子 お歌を? まあ!
少年 ええ、ええ、お姉様のお歌を。
女子 まあ……。
少年 ね、お姉様、あのお歌を教えて下さいな、お姉様が一度っきり私に教えたあのお歌を!
女子 一度っきり教えた。
少年 お姉様が、私を棄てて遠い所へ行《いら》っしゃる日に、一度っきり私に教えたあのお歌よ!
女子 どんなお歌だったかねぇ。
少年 「その日のために」って云うあのお歌よ!
女子 (驚き)「その日のために」?
少年 大変悲しい節《ふし》のあのお歌を、いま一度お姉様のお口から聞きたいの。
女子 それでお前さんは此処へ来たのかい。
少年 あのお歌を聞きたいばっかりに、私はお姉様をさがしたの。……そして、とうとう私はお姉様を見つけ[#「見つけ」に傍点]たのよ。ね、お姉様。お姉様は其処にいらっしゃるでしょう。――ああ私はほんとに安心した。(となつかしげに見る)
女子 (ヨハナーンを引き寄せ、そのままそろそろと機の所まで行き、腰を踏台の所へ下ろし、ヨハナーンを膝にすがらす)ええ、ええ、姉様は此処に居りますよ、お前さんがそのように、なつかしがる姉様は此処に居りますよ
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