彼自由主義をもって非藩閥主義となすのみ、自由平等の理を取りて世界共通の人道となすがごとき理想は彼さらにこれを抱懐せず。ただ国権を拡張するの一事に至りては自由論派より継承したるがごとくなるも、その主旨はすなわち大異同あり、国権拡張は自由論派にありて個人自由を伸張する方法なれども、大同論派にありてはやはり国民の利益および名誉を計るにほかならず。彼また痛く政府の欧化主義に対して反対し、泰西模擬の弊は一国の滅亡に係るとまでに攻撃したり。この点においては新論派たる国民論派とすこぶる相合し、大同論派の代表者たる後藤伯が当時すなわち十九年二十年の交において国民論派の代表ともいうべき谷子と偶然にも条約問題に反対せしはいちじるしき事実なりとす。藩閥政府を非とするの一事をもって政論社会を動かしたることは、政論ありて以来いまだ大同論派より強大なるものあらず、吾輩は非藩閥論派としてこの功績を認むるに躊躇せず、しかして二十二年の条約問題に付いてもこの論派の勢力少なしとなさず、吾輩はこの点において国権論派の一種となす。

     第三 自治論派

 前期において帝政論派と称するものは実に二個の分子を包含せり。そ
前へ 次へ
全104ページ中79ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
陸 羯南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング