言うことをあえてせず。当時民間の政論家をもって自任する者は日本の旧慣を弁護することを憚り、わずかに英国の例を藉《か》りてもって西洋風の勤王論を口にするあるのみ。実に当時の政論家は国体論または忠君論を禁物となしたるありさまなり。この時に当たり断然起ちて万世不易の国体を説き王権論を説き欽定憲法論を説きたるものはひとり帝政論派なり。吾輩はその説の往々偏癖に流るるものなるを知るも、世の潮流に逆らいて民権熱に清涼剤を投じたるの功を没すべからずと信ずるなり。帝政論派はもとより一の論派たる価値なきにあらず、然れどもその藩閥内閣を弁護するによりて勢力は他の二論派に及ばざりき、ついに二派に先だちて政論界より退きたり。これを第三期の末における政論の状想となす。第三期より第四期に移るの際に当たり、二、三の新論派はようやく萌芽を吐きたり、経済論派、法学論派のごときものこれなり。請う次回においてその大要を吟味せん。

     第七 経済論派および法学論派

 泰西学問のようやく盛んならんとするや、東京に二、三の強大なる私塾ありき。そのもっともいちじるしきものは今なお存するところの慶応義塾これなり。この塾は昔時
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