新聞』を発行せしこと、および今の兆民居士、中江篤介氏が帷を下して徒を集め、故田中耕造氏らとともに仏国の自由主義を講述しもって『政理叢談』を刊行せしことは、これ実に自由論派の嚆矢《こうし》というべきか。
新自由論派は第二期の政論派よりもその民権を説くにおいては一層深遠なりき。何となれば彼らは、事実の上に論拠を置くことをなさず、西洋十八世紀末の法理論を祖述し多く哲学理想を含蓄したればなり。中江氏らのおもに崇奉せしはルーソーの民約論なるがごとく、『政理叢談』はほとんどルーソー主義と革命主義とをもってその骨髄となしたるがごとし。その説の大要に以為《おもえ》らく、「自由平等は人間社会の大原則なり、世に階級あるの理なく、人爵あるの理なく、礼法慣習を守るべきの理なく、世襲権利あるの理なく、したがって世襲君主あるの理なし、俗は質朴簡易を貴ぶ、政は君主共和を尚ぶ」と。要するに新自由論派はかのルーソーとともに古代のローマ共和政を慕うこと、なお漢儒が唐虞三代の道を慕うがごとくなりき。その説は深遠にしてかつ快活なるがごとく、一時は壮年血気の士をして『政理叢談』を尊信せしむるに至れり。この論派の特色は理論を主
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