。吾輩はこの期節をもって近時政論史の一大段落となす。しかして第三期の政論を紀するに先だち、ここに当時以後の政論に関し一言し置くべきことあり。何ぞや他にあらず、政事に係る新思想はこの変乱によりてほとんど全国に延蔓せしことこれなり。当時に至るまで政論を唱えたるものは主として東京にあり、かつ民間にありて政論に従事せしものはおもに旧幕臣または維新以来江戸に居留せし人々に係る、地方土着の士人に至りてはなお脾肉《ひにく》の疲《や》せたるを慨嘆し、父祖伝来の戎器《じゅうき》を貯蔵して時機を俟《ま》ちたる、これ当時一般の状態にあらずや。試みに全国を大別してこれを観察せんに、新しき政事思想を抱きて国事を吟味するものは文明の中心たる東京をもって本となし、これに次ぎたるは第二の都府とも称すべき大阪を然りとす。大阪は商業の地なり、何故に政事思想はこの地に発達せしか、いわく土着の人民然るにあらず、土佐人の出張所あるをもってなり。
さきに民選議院論を唱えたる政事家の一人板垣退助氏は時の政府に不平を抱きてその郷里土佐にあり、薩摩の西郷とともに民間の勢力をもちたるがごとし。当地その同論者たる江藤氏は佐賀の乱に殪《た
前へ
次へ
全104ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
陸 羯南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング