字上げ]著者誌
明治二十四年五月
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緒論
冷は氷よりも冷なるはなく、熱は火よりも熱なるはなし、しかれども、氷にあらずして冷やかなるものあり、火にあらずして熱きものあり、いやしくも冷やかなるものみな氷なり、いやしくも熱きものみな火なりというはその誤れるや明白なり。湯にしてやや冷を帯ぶるものを見、これを指《さ》して水なりといい、水にして少しく熱を含むものを見、これを指して湯なりという、ここにおいて庸俗の徒ははなはだ惑う。湯の微熱なるものと水の微冷なるものとはほとんど相近し、しかれども水はすなわち水たり、湯はすなわち湯たり、これを混同するはそのはじめを極《きわ》めざるがゆえのみ。政治上の論派を区別するもまたこれに似たるものあり、民権を主張するもの豈《あ》にことごとく調和論派ならんや、王権を弁護するもの豈にことごとく専制論派ならんや、ただその論拠の如何《いかん》を顧みるのみ。仏国大革命の後に当たり、政論の分派雑然として生ず、当時かのシャトーブリヤン氏とロワイエ・コロラル氏とはほとんどその論派を同じくし、世評は往々これを誤れり、しかれども甲は保守派中の進歩論者にし
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