圧制政府という。圧制政府はいつにおいてもどこにおいても人民の顛覆するところとならざるべからず。欧米各国において共和政治の起こりたるはみな圧制政府を嫌うがためなり、すなわち圧制政府の倒るるは自然の数というべし」、しかして彼らはまた大呼して「民権は血をもってこれを買うべし」といえり。
 これに因りてこれを見れば、彼らは政治の理論を説くにあらずして政変の事実を説くものなりき。事実の上よりしてその説を立てもって時の政治を排斥したるに過ぎず、すなわち彼らはほとんど理論上の根拠を付せざるに似たり。千五百年代英国において民権説の勃興するや、時の学者らはおもに宗教の上よりその論拠を取り来たり、暴虐の君主は神の意に背く、ゆえに神に代わりてこれを顛覆せざるべからずといえり。学理のいまだ進歩せざる当時にありても、ややその根拠を確かめたるもののごとし。当時わが国の民権論派はほとんど共和政治を主張するまでに至りたれども、ただ事実の上に起点を置き、いまだ一定の原則を明らかにしたることあらず、日本の近世史上にはその跡を止むるの価値あるも、政治の理論としてははなはだ微弱なるものと言わざるべからず。しかるにこれに続きて
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