拘泥し卑屈服従偏倚して、個人的生存の気象なきを憂とし、もっぱらこの旧弊を破除せんと欲したるがごとく、国権論派は政権の分裂して人心散乱の弊を見、法制の粗濫にして官吏放恣の害を察し、泰西流の政理をもってこれを匡済《きょうさい》することを目的としたるがごとし。およそ政論派の起こるは偶然に起こるものにあらず、必ず時弊に応じて起こるを常とす、当時なお封建の余勢を承け三百年太平の後に当たり、人心散乱公同の思想なく、民風卑屈自立の気象なし、全国はただ依頼心と畏縮心とをもって充満せられたり。国富派はおもにこの依頼心を排斥せんと欲し、猶予なく利己主義を奨励す、国権派はおもにこの畏縮心を打破せんと欲し、あえて愛国心の必要を説きたり、愛国心公共心を説きたるは当時人心のいまだ一致せざるを匡済するに出でたるならんか、かつこの論派は主として政治法制の改良を唱え、いまだ立憲政を主張するに至らざるも、秘密政治・放恣政治の害を論じたるは明白なりき。今この二政論派を汎評するときは政法上において国権派は急進家にして国富派はむしろ漸進家たるに似たり、両派ともに進歩主義なりといえどもいまだ立憲政体の主張者たるには至らざりき。

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