みなかの帝政論派は政府賛助派なりと。あるいは然らん、しかれども吾輩はこの篇においてその裏面を探るものにあらず、もし裏面を穿ちしならば当時の自由論派または改進論派は政府攻撃派なるやも知るべからざればなり。しからば当時政論派の変化は表面よりして奇観を呈したりというもとより可なり。しかれども当時の政府は主としてドイツ風を模擬せり、改進論派のこれに反対せしはその英国風ならざるをもってなるか、自由論派のこれに反対せしはその仏国風ならざるをもってなるか、少なくも、王権の強大が英国風に反しまたは貴族の爵号が仏国米国の風に反すとの点をもって、二論派はドイツ風なる政府に反対したるか、はたしてしからばこれ国風の争いなり、いわゆる欧化主義においてはみな同一なりと言うべし。
この紛々たる時に至りて一の新論派は出でたり、すなわち国民論派または国粋論派または日本論派と称すべきものこれなり、この論派は実に当時の流勢に逆らい、泰西風の模倣をもって実益および学理に反することとなし、深く国民の特性を弁護したるものなり。この新論派に正反対をなしたるものは第三期の末に起こりたる経済論派にして、これに味方をなしたるものは法学論派なり。しかして旧論派たりし自由論派は味方とまでにならざるも反対にはあらず、改進論派は正反対にはあらざるも側面より反対を試みたるは明白なりき。帝政論派の遺類にして欧化論派とも称うべきは国民論派に対して理もとより正反対の地にありといえども、彼ドイツ風の歴史的論派に多少の淵源を有するがゆえに、この新論派に対してはあえて正面の攻撃をなすあたわざるがごとし、これを当時における最近諸論派の関係とす。
論派たる価なしといえども通俗の便としてなお掲ぐべきものあり、いわく大同論派、いわく自治論派、この二論派は実に論派として掲ぐるほどの価なし、何となれば理論上においてはいかなる抱懐ありしやを知るあたわざればなり。ゆえに強いてこれを論派と見做しここに列記せんと欲せば自治論派はこれを旧帝政論派の遺類たる欧化論派の中に算うべく、しかして大同論派はかの自由論派とその形を異にせしものに過ぎずと言うの外ならず。次に最新の論派として算入すべきものはいわゆる保守論派を然りとなす。保守論派の中にもまたほとんど二種の別あることを見る。すなわちもっともいちじるしきは保守中正論派にしてこの論派は実にかの国粋論派〔適当に言え
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