より一の片句を竊《ぬす》み、かしこより一の断編を剽《けず》り、もってその政論を組成せんと試む、ここにおいて首尾の貫通を失い左右の支吾をきたし、とうてい一の論派たる価値あらず、かくのごときもの往々その例を見る。しかりといえどもこれ近時の政界に免るべからず、吾輩はほぼその事情を知れり、維新以来わずかに二十有三年、文化の進行は大長歩をもってしたりというといえども、深奥の学理は豈に容易に人心に入るべけんや、かつ当初十年はまさに破壊の時代にあり、旧学理すでに廃して新学理いまだ興らず、この間において文学社会も世潮渦流の中に彷徨す。幕府の時代にありて早くすでに蘭学を修め、一転して英に入り仏に入る者は、実に新思想の播布にあずかりたるや多し、しかれども充分に政理を講明して吾人のために燈光を立てたる者は寥々たり、けだし中興以来の政府は碩学鴻儒《せきがくこうじゅ》を羅し去りてこれを官海に収め、かれらの新政理を民間に弘むることを忌む。これまた一の原因たらずんばあらず。しからば政論派の不完全なるものあるまた怪しむに足らず、不完全の論派といえども人心を感化するものは吾輩これを一の論派として算《かぞ》えざるを得ず、時としては主権在民論者も勤王説を加味し、時としてはキリスト崇拝論者も国権説を主張す、しかして世人これを怪しまず往々その勢力を感受す、これわが国において一の論派たるに足るものなり。
第一期の政論
第一 国権論および富国論
大革新大破壊の前後には国中の士論ただ積極と消極の二派に分裂するに過ぎず。いわく攘夷論、いわく開港論、二つのものは外政上における常時の論派なり。いわく王政復古、いわく皇武合体、二つのものは内政上における常時の論派なり。封建時代の当時にありて、国内諸方関険相|隔《へだ》ち、交通の便否もとより今日と日を同じくして語るべからず、したがって天下の人心はおのおのその地方に固着し、国内いまだ統一するに至らず、しかして士論の帰するところただ両派に過ぎざるは何ぞや。思想単純の時代というといえども、一は安危の繋がるところ小異を顧みるに遑《いとま》あらざるがゆえにあらずや。すでにして攘夷論は理論上においてのみならず実行上においてもまた大いに排斥せられ、世はついに開港貿易説の支配するところとなれり。かくのごとく積極論派は外政上において失敗したりといえども、内政上には大
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