主事は驚いて何かを氣遣うらしく私を傍の暗いアカシアの繁みの中へ急いで連れ込んだ。そして姿を隱し息を殺したまま、彼等が通り過ぎて遠くへ消え去るのおしまいまで見屆け終ると、主事はけつけつ嗤いながら喚くのである。
「あの衆奴、いつかわっしのところへ來て家をこわしながら、尹主事旦那やと頭を下げて云わっしゃるだ。わし等主事さんを大工頭に頂きてえだが承知出來ねえべえかねとな。わっしあそれで呶鳴ってやっただよ。氣ふれ婆の小便たらしみてえにずうずうぬかせば何もかも話しと思うかえ。こんげな齡になると少しは樂してえちうもんだ。するとあの衆奴皆逃げ出しやがっただよ」
 彼は又けつけつ嗤った。だが暗闇の中に彼の目は最後の火のほとぼりを吐いてるように見えて、思わず私はぞっと身慄いした。彼は尚お聲高くけっけっと嗤い續けた。



底本:「金史良作品集」理論社
   1972(昭和47)年3月新装版第1刷
初出:「故郷」甲鳥書林
   1941(昭和16)年刊
入力:ゼファー生
校正:土屋隆
2007年1月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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