得ない肉感である。それは肉感でないとは云へない。しかしそれは肉の神秘感[#「肉の神秘感」に白丸傍点]である、肉の幽玄感である。彼女の眼には不思議の情がある。しかし、それは燃えてはゐない。静かである。
 余はこれを異端の味と呼ばう。彼女は黙つてほゝ笑んでゐる。そのほゝ笑みは、レオナルドのほゝ笑みである。そして、「芸術」といふものゝ持つほゝ笑みである。
 実にこの画は、「芸術」の何であるかといふ事を語る。芸術が道徳でもなく宗教でもなく実に芸術であるといふ事はこの画のほゝ笑みの謎を解するものには解る。その肉感に芸術にのみゆるされる異端の域の或るシンボルである。
 レオナルドは、この画を描く時、彼独特のアトリエの中で、モナリザ・ジヨコンド夫人を坐らせ、その近くで絶えず微妙な音楽を奏せしめて、ヂヨコンド夫人の心を絶えず、楽しませ、その口辺《くちべ》にたえずよき微笑を、たゞよはす様にしたと云ふ伝説がある。実に不思議なる芸術三昧の一境だと思ふ。
 実にこの画は芸術の三昧といふ事がふさはしい気がする。其処には実に複雑な心が生かされてゐる。荘重、肉感、幽玄、神秘、そしてそれ等が不思議な完成を示してゐる。
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