されたものと見えるものも、作家にとつては未成品であるといふ場合はよくある事である。
只その場合、作家より、第三者の方が深い自然を見得る人である時はこれが正反対になる。即ち、作家がもうどうしてもこれ以上は描けないといふ所まで描いて、これを完成したと思つても、その作品を観る第三者が、その作家より自然観照に於て深い人である時は、その作は実に描き足らぬものとなる。
レオナルドと、ヂヨコンド夫人との間には清いそして淡い恋があつたと云ふ説もある。しかし、それは解らない。この画の顔は、不思議な笑みをもらしてゐる。人にはこれを謎の笑ひと云ふ。幽玄な、深い気持のするその顔の中、うすい微妙極みない線を持つたその唇は、かすかに彎曲して、微妙なほゝ笑みをもらしてゐる。
恐らくレオナルドの唇にはこの唇をかく時には、同じ微妙なそして同じ幽玄極まりない微笑をもらした事であらう。実際画をかく時、笑ひ顔を描く時は作家はどうしても思はず知らず一緒にほゝ笑むものである。又泣いた顔をかく時はやはりしかめつらをしなくてはかけない。これは事際《こときは》の事であつて、これだけでも、造形美術の中に、「心」を描く、造形的要素と
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