の濃きむらさきの色めづらけき[#地から1字上げ]九月十七日
さ庭べの擬宝珠の花折り来たりコップに活けて枕辺におく
秋の気はさはやかなれどやがて来ん冬の寒さの先づ気遣はる[#地から1字上げ]九月十七日
音痴なるわれにふさはし廚下にてあさゆふになくこほろぎの声
蚊の足と痩せにしすねに食ひ入りて血を吸ふ蚊あり九月のなかば
生きなむともがく心をすてしよりをしもの貪る心も消えぬ[#地から1字上げ]九月十九日

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安井国手に贈る
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今年九月に至り衰弱殆どその極に達し、今ははや終りならめと諦め居たりしに、計らずも安井国手来り診て、こは棄ておくべきに非ず、一切は余に任せよと云ひて、これまでは辱知の間柄にもあらざりしに、爾来日々来りて、注射及び投薬を施され、ために体力日に快方に向ふ。来診を乞ひても物を持ち行かざれば応ぜざるが多く、注射も患者より材料を提供せねばならぬ例少なからぬ今日、無報酬にてかかる恩恵を受くること、洵に有りがたき次第なり。乃ち喜びの余り短歌十首を作る
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消えなむとするに任せしともしびに油さしつぐくすしの君は
風待たで消ゆるばかりにほそりゐし灯火のいままたもえつづく
今ははや終りならめと諦めてゐたりしいのち尚もつづくか
陋巷に窮死するにふさはしき我を棄てじと訪ひくる君はも
死ぬもよし生きなば更によからむと残りのいのち君に任せつ
来む春に逢はむ望もたえたりと諦めし日に君と逢ひけり
今更に為すある身にはあらねども恵みをうけて尚ほ生きてをり
生くとても為すこともなき老いの身は君の恵《めぐみ》の勿体なくして
願はくは君が恵みに力えてまた都門の外《と》にも出でばや
枯れ果てし老いらくの身も冬を経てまた来む春に逢ひ得なむかも[#地から1字上げ]十月十八日

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病床雑詠
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今ははや再び起たむ望みなしいざやしづかに死を迎へなむ
窓により外ながむればスタスタと道ゆく人のなほ羨まし
[#地から1字上げ]九月二十日
いざわれも閻魔王庁にまかりいで無条件の降服なさむ
われ生きてあらむ限りは生きてゐよとたらちねの母はせちにのらせども[#地から1字上げ]九月二十一日
知恩院の鐘が鳴るかやゆふぞらに遠く尾をひき消えてゆくなり
わが床を階下にうつし臨終の床となさばや今日より後は
[#地か
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