列す。試みに例をあげて図表の意味を説明せんに、たとえば、英国の曲線についてみれば、家族数百分の六十五の所は、曲線の高さ約百分の二の所にあり。これ最も貧乏なる者より数えて全体の百分の六十五に当たるだけの人員の者が、全国の富の約百分の二を有するに過ぎざることを示すがごとくである。この図式は米国の統計学者ロレンズ氏 (Dr. Max O. Lorenz) の工案に成るがゆえに、ロレンズ氏の曲線という。
[#ここで図表下部解説文終わり]
[#「一家族の所有せる財産平均額比較図」のキャプション付きの図表(fig18353_05.png)入る]
今中等の上を略し、最後の最富者の部分を一瞥《いちべつ》するに、人数より言えば全人口のわずかに百分の二に相当するだけのものたるにかかわらず、その所有に属せる富は、英国にあっては全国の富の約七割二分、フランスにあってはその六割強、ドイツにあっては五割九分、米国にあっては五割七分に相当しているのである。貧富懸隔のはなはだしきこと、かくのごとし。ひっきょう英米独仏の諸国が貧乏人の実におびただしきにかかわらず、世界の富国と称せられつつあるは、古今にまれなる驚くべき巨富を擁しつつある少数の大金持ちがいるためである。[#地から1字上げ](九月十八日)
三の一
故|啄木《たくぼく》氏は
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はたらけど
はたらけどなおわが生活《くらし》楽にならざり
じっと手を見る
[#ここで字下げ終わり]
と歌ったが、今日の文明国にかくのごとき一生を終わる者のいかに多きかは、以上数回にわたって私のすでに略述したところである。今私はこれをもってこの二十世紀における社会の大病だと信ずる。しかしてそのしかるゆえんを論証するは、以下さらに数回にわたるべき私の仕事である。
貧乏がふしあわせだという事は、ほとんど説明の必要もあるまいと考えらるるが、不思議にも古来学者の間には、貧乏人も金持ちもその幸福にはさしたる相違の無いものであるという説が行なわれておる。大多数の諸君の知らるるごとく、アダム・スミスは近世経済学の開祖とも称さるべき人であるが、氏が今より百五十余年前(一七五九年)に公にした『道徳感情論』を見ると、氏は次のごとく述べている。
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「……肉体の安易と精神の平和という点においては、種々の階級の人々がほとんど同じ平準にあるもので、たとえば大道のそばでひなたぼこをなしつつある乞食《こじき》のもっている安心は、もろもろの王様の欲してなお得《う》るあたわざるところである*」
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
* Adam Smith, The Theory of Moral Sentiments, 6th ed., 1790. p. 311.
[#ここで字下げ終わり]
ただ今|嵯峨《さが》におらるる間宮英宗《まみやえいそう》師は禅僧中まれに見る能弁の人であるが、その講話集の中には次のごとき話が載せてある。前に掲げたるアダム・スミスの一句の注脚とも見なすべきものゆえ、これをそのまま左に借用する。
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「昔五条の大橋の下に親子暮らしの乞食《こじき》が住んでいました。もとは相応地位もあり財産もあった立派な身分の者でありましたが、おやじが放蕩無頼《ほうとうぶらい》に身を持ちくずしたため、とうとう乞食とまで成り果てて今に住まうに家もなく、五条の橋の下でもらい集めた飯の残りや大根のしっぽを食べて親子の者が暮らしていたのであります。ところがちょうどある年の暮れ大みそかの事、その橋の上を大小《だいしょう》さして一人の立派なお侍が通りかかった。するとそこへまた向こうの方から一人の番頭ふうの男がやって参りまして、出会いがしらに『イヤこれは旦那《だんな》よい所でお目にかかりました』と言うと、そのお侍は何がよい所であろうか飛んだ所で出くわしたものだと心の内では思いながらもいたしかたがない、たちまち橋の欄干に両手をついて『番頭殿実もって申しわけがない、きょうというきょうこそはと思っていたのだけれども、つい意外な失敗から算当が狂ってはなはだ済まぬけれども、もう一個月ばかりぜひ待ってほしい』と言うのを、番頭はうるさいとばかりに『イヤそのお言いわけはたびたび承ってござる、いつもいつも勝手な御弁解もはやことしで五年にも相成りまする、きょうというきょうはぜひ御勘定を願わなければ、そもそも手前の店が立ち行きませぬ』と威丈高《いたけだか》になって迫りますと『イヤお前の言うところは全く無理ではないが、しかし武士ともあるものがこのとおり両手を突いてひらにあやまっているではないか、済まぬわけだが今しばらくぜひ猶予《ゆうよ》してもらいたい』としきりにわび入る。これを橋の下で聞いていた乞食のせがれが、さてさてお侍だなんて平生大道狭しと威張っていくさるくせに商人ふぜいの者に両手をついてまであやまるとはなんとした情けない話であろう、いくら偉そうに威張っていたところで債鬼に責められてはあんなつらい思いもせなければならぬとすればつまらない、それを思うとわれわれの境界は実に結構なものだ、借金取りがやって来るでもなければ、泥棒《どろぼう》のつける心配もない、風が吹こうが雨が降ろうが屋根が漏る心配も壁がこわれる心配もない、飢えては一わんの麦飯に舌鼓をうち、渇しては一杯の泥水《どろみず》にも甘露の思いをなす、いわゆる
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一鉢千家[#(ノ)]飯 孤身送[#(ル)][#二]幾秋[#(ヲカ)][#一] 一鉢《いっぱつ》千家の飯、孤身幾秋をか送る
冬[#(ハ)]温[#(ナリ)]路傍[#(ノ)]草 夏[#(ハ)]涼[#(シ)]橋下[#(ノ)]流[#(レ)] 冬は温《あたた》かなり路傍の草、夏は涼し橋下の流れ
非[#(ズ)][#レ]色[#(ニ)]又非[#(ズ)][#レ]空[#(ニ)] 無[#(ク)][#レ]楽復無[#(シ)][#レ]憂 色《しき》に非ず又|空《くう》に非ず、楽無く復《また》憂《うれ》い無し
若[#(シ)]人問[#(ワバ)][#二]此[#(ノ)]六[#(ニ)][#一] 明月浮[#(ブ)][#二]水中[#(ニ)][#一] 若《も》し人此の六に問わば、明月水中に浮かぶ
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で、思えば自分らほどのんきな結構なものは世間にないとひとり言を言うて妙に達観していると、せがれのそばで半ば居眠《いねぶ》りをしていた親乞食がせがれがかように申しますのを聞いて、むっくと起き直り『これせがれ、そんな果報な安楽の身にいったいお前はだれにしてもろうたのか親様《おやさま》の御恩を忘れてはならんぞ』と言うたというお話がござります」
[#ここで字下げ終わり]
「はたらけどはたらけどなおわが生活《くらし》楽にならざり、じっと手を見る」という連中が、この講話を聞いてはたして自分らほど果報な者は世にないと思うに至るであろうか、どうか。たとい彼ら自身はそう思うにしても、われわれははたして彼らを目して世に果報な人々とすべきであるか、どうか。それが私の問題とするところである。[#地から1字上げ](九月十九日)
三の二
五条河原《ごじょうがわら》の乞食《こじき》の話は、話ぶりがあまり巧みなので、ついそのまま転載さしてもらう気になったが、もし私の記憶が間違っていなければ、かの大燈国師《だいとうこくし》のごときも同じく五条の橋の下でしばらく乞食《こじき》を相手に修養をしておられたので、その時の作になる
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座禅せば四条五条の橋の上
ゆき来《き》の人を深山木《みやまぎ》と見て
[#ここで字下げ終わり]
という歌は有名なものだということであるが、さてここに注意しなければならぬのは、大燈国師のような偉い人ならばこそ、乞食のまねをしていてもよいけれども、われわれごとき凡夫だと、孟子《もうし》のいわゆる民のごときは恒産《こうさん》なくんば因《よ》って恒心《こうしん》なしで、心も魂も堕落こそすれ、とても明徳を明らかにするちょう人生の目的を実現する方向に進めるわけのものではない、ということである。そこで同じ貧乏を論ずるにつけても、自発的の貧乏すなわち自ら選択して進んで取った貧乏と、強制的の貧乏すなわちやむを得ず強制的に受けさせられている貧乏との区別を充分にしてかからねばならぬ。そうして私のここに論ずるところは、もちろんやむを得ず強制的に受けさせられている貧乏のことである。
叙してここにきたる時、私はハンター氏の『貧乏』の巻首にある次の一節を思い起こさざるを得ない。
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「私は近ごろウィリアム・デーン・ホゥエルスに会うてトルストイを訪問したことを話したら、氏は次のごとく述べられた。『トルストイのした事は実に驚くべきものである。それ以上をなせというは無理である。最も高貴なる祖先を有する一貴族としては、遊んでいて食わしてもらうことを拒絶し、自分の手で働いて行くことに努力し、つい近ごろまでは奴隷の階級に属していた百姓らとできうる限りその艱難《かんなん》辛苦を分かって行こうとした事が、彼のなしあとうべき最大の事業である。しかし彼が百姓らとともにその貧乏を分かつという事は、これは彼にとって到底不可能である。何ゆえというに、貧乏とはただ物の不足をのみ意味するのではない、欠乏の恐怖と憂懼《ゆうく》、それがすなわち貧乏であるが、かかる恐怖はトルストイの到底知るを得ざるところだからである*。』……」
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
* Hunter, Ibid., p. 1.
[#ここで字下げ終わり]
げに露国の一貴族としてその名を世界にはせしトルストイにとっては、自発的貧乏のほか味わうべき貧乏はあり得なかったのである。
遠くさかのぼれば、昔|慧可大師《えかだいし》は半臂《はんぴ》を断《た》って法《のり》を求め、雲門和尚《うんもんおしょう》はまた半脚を折って悟《ご》に入った。今かかる達人の見地よりせば、いわゆる道のためには喪身失命《そうしんしつみょう》を辞せずで、手足《しゅそく》なお断つべし、いわんやこの肉体を養うための衣食のごとき、場合によってはほとんど問題にもならぬのである。しかしかくのごときは千古の達人が深く自ら求むるところあって、自ら選択して飛び込んだ特種の境界《きょうがい》である。もしわれわれ凡夫がへたに悟ってしいて大燈国師のまねをして、相率いて乞食《こじき》になったり、慧可・雲門にならって皆が臂《ひじ》を切ったり脚《あし》を折ったりした日には、国はたちまちにして滅びてしまうであろう。
思うに貧乏の人の身心に及ぼす影響については、古来いろいろの誤解がある。たとえば艱難《かんなん》なんじを玉にすとか、富める人の天国に行くは駱駝《らくだ》の針の穴を通るより難《かた》しとかいうことなどあるがために、ややもすれば人は貧乏の方がかえって利益だというふうに考えらるる傾きがある。古い日本の書物にも「金持ちほど難儀な苦の多きものはない、一物有れば一累を増すというて、百品持った者より二百品持ったものは苦の数が多い」など言うてあるが、現に一昨昨年(一九一三年)にはスイス国でいちばん金持ちであった夫婦者が、つくづくなんの生きがいもない世の中と感じたというので、二人がいっしょに自殺を遂げたこともある*。だから人間というものは心の持ちよう一つで、場合によっては大小さして威張っている侍よりも、橋の下に眠《ねぶ》っている乞食《こじき》の方がかえって幸福だ、というような説も出るのであるが、私だって金持ちになるほど幸福なものだと一概に言うのでは決してない。しかし過分に富裕なのがふしあわせだからといって、過分に貧乏なのがしあわせだとは言えぬ。繰り返して言うが、私のこの物語に貧乏というのは、身心の健全なる発達を維持するに必要な物資さえ得あたわぬことなのだから、少なくとも私の言うごとき意味の貧乏なるものは、その観念自身か
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