ォはずである。このゆえに、富を有する者はいかにせば天下のためその富を最善に活用しうべきかにつき、日夜苦心しなければならぬはずである。ぜいたくを廃止するはもちろんのこと、さらに進んではその財をもって公に奉ずるの覚悟がなくてはならぬと思う。[#地から1字上げ](十二月二十二日)
十三の一
私はすでに前回の末尾において、富者はその財をもって公に奉ずるの覚悟がなくてはならぬと言ったが、かく言うことにおいて、私の話はすでに消費者責任論より生産者責任論に移ったわけである。
私はかつて、需要は本《もと》で生産は末であるから、われわれがもし需要さえ中止したならば、ぜいたく品の生産はこれに伴うて自然に中止せられ、その結果必然的に生活必要品の供給は豊かになり、貧乏も始めて世の中から跡を絶つに至るであろうと述べた。それゆえ私は消費者――ことに富者――に向かってぜいたくの廃止を説いたのであった。しかしさらに考えてみるといかに需要はあっても、もし生産者においていっさいのぜいたく品を作り出さぬという覚悟を立つるならば、それでも目的は達し得らるべきはずである。
世間にはいくらでも需要のある品
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