tランスからもベルギーからも追放されて、ついには英京ロンドンに客死するに至りしところの、世界の浪人にしてかつ世界の学者たるカール・マルクスにその一生をささげ、つぶさに辛酸をなめ尽くしつつ、終始最も善良なる妻として、その遠き祖先の骨を埋めつつある英国に流れ渡り、ついに自身もロンドンの客舎に病死するに至りし人である。前に掲げた手紙もすなわちこのロンドン客寓中《かくぐうちゅう》にしたためたものである。[#地から1字上げ](十二月九日)

       十一の二

 さて私がここにマルクスを持ち出したのは、彼が有名なる唯物史観または経済的社会観という一学説の創設者であるからである。
 彼が一八五九年に公にしたる『経済学批判*』の巻頭には同年二月の日付ある彼の序文があるが、その一節には次のごとく述べてある。
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* Karl Marx, Zur Kritik der politischen Oekonomie.
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「余はギゾーのためフランスより追われたるにより、パリーにて始めたる経済上の研究はこれをブリュッセ
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