、この国内における不当なる困窮をば、ただに救済するのみならず、さらにこれを予防せんがために徴収さるるものである。わが国を守るため必要な用意をばすべて怠りなくしておくということは、無論たいせつなことである。しかしながら、わが国をしていやが上にもよき国にして、すべての人に向かってまたすべての人によりて守護するだけの値うちある国たらしむることは、確かにまた同じように緊要なことである。しかしてこのたびの費用はこれら二つの目的に使うためのもので、ただその事のためにのみこのたびの政府の計画は是認せらるるわけである。人あるいは余を非難して、平和の時代にかくのごとき重税を課することを要求したる大蔵大臣はかつてその例が無いと言う。しかしながら、諸君(全院委員長エモット氏の名を呼べるも、訳して諸君となしおく)、これは一の戦争予算である。貧乏というものに対して許しおくべからざる戦いを起こすに必要な資金を調達せんがための予算である。私はわれわれが生きているうちに、社会が一大進歩を遂げて、貧乏と不幸、及び必ずこれに伴うて生ずるところの人間の堕落ということが、かつて森にすんでいた狼《おおかみ》のごとく、全くかの国の人民から追い去られてしまうというがごとき、よろこばしき時節を迎うるに至らんことを、望みかつ信ぜざらんとするもあたわざるものである。」
[#ここで字下げ終わり]
 語を寄す、わが国の政治家。欧州の天地、即今戦報のもたらす以外、別に這箇《しゃこ》の大戦争あるを看過されずんば、洪図《こうと》を固むるは諸卿《しょけい》の業《わざ》、この物語の著者のごときはすなわち筆硯《ひっけん》を焼き、退いて書癡《しょち》に安んずるを得ん。[#地から1字上げ](十月三日)

       五の一

 以上をもって私はこの物語の上編を終え、これより中編に入る。冬近うして虫声|急《すみや》かなる夕《ゆうべ》なり。
 今日の社会が貧乏という大病に冒されつつあることを明らかにするが上編の主眼であったが、中編の目的はこの大病の根本原因の那辺《なへん》にあるかを明らかにし、やがてこの物語全体の眼目にして下編の主題たるべき貧乏根治策に入るの階段たらしむるにある。
 ロンドン大学教授エドウィン・キャナン氏はその著『富』に序して
[#ここから1字下げ]
「経済学の真の根本問題は、われわれすべてが、全体として、今日のごとき善《い》い暮らしをしているのは、――善《い》い暮らしをしていると言うのが悪ければ、悪い暮らしをしていると言うてもいいが、――それは何ゆえであるかということと、われわれのうちある者は平均よりはるかに善《い》い暮らしをしており、他の者ははるかに悪い暮らしをしておるのは何ゆえであるかということと、この二つである*。」
[#ここで字下げ終わり]
と言っているが、一句よく斯学《しがく》の本領を道破して遺憾なきものである。今余はこの二大問題中の後者を説明するがためいささかさかのぼりて前者に言及するのやや避け難きを感ずる。諸君、請う吾人《ごじん》をしてしばらく人間を去って、蟻《あり》の社会を観察するところあらしめよ。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
* Edwin Cannan, Wealth, 1915.
[#ここで字下げ終わり]
 蟻の一種に葉切り蟻という者あり、熱帯地方に繁殖す。フォルソム『昆虫学《こんちゅうがく》』に記載するところを見るに
[#ここから1字下げ]
「この種は非常の多数にて生活し、数時にして樹枝に一葉をとどめざるに至るものにして、園芸家はこの恐るべき蟻に対しては施すべきの策なし。実にこの蟻の多き地方にてはオレンジ、コーヒー、マンゴー、その他の植物の栽培不可能なりという。この蟻は地下きわめて深く巣をうがち発掘せる土をもって垤《とう》を造る。時に直径三四十尺に及ぶことあり。しかして諸方面に巣より付近の植物に通ずる道路を設く。ベルト氏はしばしばこの蟻が巣より半マイルを隔てし地において働きつつあるを目撃せりという。この蟻の攻撃するは主として植物の葉なれども、その他花、果実、種子をも害す。うんぬん」(三宅《みやけ》、内田《うちだ》両学士訳本、五三九ページ以下)。
[#ここで字下げ終わり]
とあり。さらにブラジルにて特にこの蟻につき研究したるベーツ氏の記載せるところを見るに、
[#ここから1字下げ]
「一つ一つの蟻は木の葉の表に止まっていて、その鋭い剪刀《はさみ》のような口で、木の葉の上方をばほぼ半円形に切って行き、そうしてその縁を口にくわえ、パッと急に引いてその片《きれ》をもぎ取る。時とすると、こうして切り取った葉をば土地の上に落とす。そうするとそれがだんだん土地の上に積まれて行くのを、他の蟻が来てそばから次々にと持ち運ぶ。しかし普通には、その切り取った葉をば
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