Aロイド・ジョージの五臓六腑《ごぞうろっぷ》にしみわたっている。彼が弱き者のしいたげらるるを見る時は、必ず常に、孺子《じゅし》をとらえて井中に投ぜんとするを目撃するがごときの感をなすも、ひっきょうこれがためである。
彼はまたこれがために、かつて南ア戦争に当たってはその同胞を敵として戦い、あえて身命の危うきを顧みず。のちあげられて大蔵大臣となるや、幾多の反対攻撃をものともせず、着々として多数貧民のためにさまざまの社会政策を実施し、「世界に政治家は多い。そうして彼らは世の認めてもって尊貴となし名誉となすところのものを得、富もまた彼らの上に積まれつつある。しかしながら、多くの人々が自分の居間に独座する時、ひそかに彼の利益のために祈り、自分ら自身さえ充分に享受していない幸福をば、ただ彼が身にあれかしとのみ念じつつあるがごとき、隠れたる懐《ゆか》しき同情者を有すること、ロイド・ジョージのごとく多きものはいまだかつてない」と言わるるに至りしも、またこれがためである。
彼はまたこれがために、今やドイツ人の暴虐を懲罰せんがため、獅子奮迅《ししふんじん》の勢いをもって軍国の大事に当たりつつある。開戦後まもなく軍需大臣となり、次いで陸軍大臣に転じ、ついに今は総理大臣の椅子《いす》を占め、隠然として連合諸国の総大将たるの観がある。しかも余をもってこれを見れば、彼は依然として、今より約十五年前、英国バーミンガム市においてその同胞のためにほとんど一命を奪われんとせし当年の militant peacemaker(戦闘的平和主張者)たるロイド・ジョージそのままの人である。思うにやがてきたるべき平和会議の席上において、最も権威ある発言をなしうる者は、必ずや彼ロイド・ジョージであろう。しかも彼は正義のために、よくドイツ人と戦うことを知ると同時に、またよく自国人と争うことを知る。このゆえに私は、きたるべき平和会議の席上に、心より彼を歓迎すると同時に、戦後の経営においても、英国多数の貧民のため、彼の生命の永《とこしえ》に長からん事を祈る。国家を異にし、人種を異にしながら、私のひそかにその長寿を祈りつつあるは、世界の政治家中ロイド・ジョージただ一人である。
[#地から1字上げ](大正六年一月十一日)
[#改ページ]
[#ここからページ上部横組み]
If the life is more than meat, the meat, all the same, is necessary.−−−−−−−−Smart, Second Thoughts of an Economist, 1916, p. 111.
Poverty kills the social sentiments in man, destroys in fact all relations between men. He who is abandoned by all can no longer have any feeling for those who have left him to his fate.−−−−Bonger. Criminality and Economic Conditions. (trans. from Dutch.), 1916, p. 436.
[#ページ上部横組み終わり]
[#ここからページ下部縦組み]
生命は食物以上のものであるとしても、食物は依然として必要なものである。――スマート『第二思想』
×
貧乏は人の社会的感情を殺し、人と人との間におけるいっさいの関係を破壊し去る。すべての人々によりて捨てられた人は、かかる境遇に彼を置き去りにせし人々に対しもはやなんらの感情ももち得ぬものである。――ボンガー『犯罪と経済状態』
[#ページ下部縦組み終わり]
底本:「貧乏物語」岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年9月5日第1刷発行
1965(昭和40)年10月16日第30刷改版発行
1978(昭和53)年11月10日第47刷発行
初出:貧乏物語「大阪朝日新聞」
1916(大正5)年9月11日〜12月26日
ロイド・ジョージ「大阪朝日新聞」
1916(大正5)年7月14日、1917(大正6)年1月9日〜11日
※注釈記号「*」は底本では、直前の文字の右横にルビのように付いています。
※底本で区切りに使われている「*」は注釈記号と重複するので「×」に変更しました。
※2行にわたる波括弧はけい線素片で代用しました。
※「二の二」の「ローンツリー『貧乏』縮刷版」と「ボウレイ『生計と貧乏』」の表のレイアウトを、読みやすさを優先して調整しました。
※「需要はすなわち本《と》で」は、校正に使用した第63刷の表記に従って「需要
前へ
次へ
全59ページ中58ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
河上 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング