キからはこのカーマーゼンに一人の友人もなくなろうとも。」
[#ここで字下げ終わり]
 たといすべての同胞をことごとく敵とするも不正不義に向かっては一歩も仮借すべからずというのが、彼の精神であった。しかしながら、彼が猛烈に運動すればするほど、世間の反感もまたますます猛烈になるばかりであった。現に彼自身の選挙区においても、バンゴアという所にて演説会を開きし時のごときは、会館はたけり狂う群集によって絶え間なく攻撃され、彼自身も市街《まち》のまん中で袋だたきに会った。かくのごとくにして彼の不人望はその極頂に達したる時、あたかも一九〇〇年の総選挙が行なわれた。この時ばかりはわずかに残った彼の後援者もほとんど失望の極に陥ったが、さすがは英国だ、この『国賊』この『売国奴』は前回よりも五割以上の投票数を得て、重ねて再選せらるる事となった。[#地から1字上げ](大正六年一月十日)

       二の三

 重ねて議員に再選せられてよりロイド・ジョージは勇気百倍、縦横無尽にその奮闘を続け、かくて翌一九〇一年の十二月には、彼はいよいよキリスト降誕祭の前日を期し、南ア戦争の直接の責任者たる殖民大臣チャンバーレンの郷里バーミンガム市に攻め入るの予定を立てた。そもそもこのバーミンガム市は、チャンバーレンの本営|牙城《がじょう》にして、氏の政敵のかつて足一歩も踏み入るるあたわざりし所である。チャンバーレンは早くより親しく同市の市政に参画し、幾多の改良改革を断行し、同市をして英国都市中の模範たらしめし恩人にして、数十万の市民は氏を神のごとく崇拝していたのである。さればロイド・ジョージのこの地に入らんとするの報一たび伝わるや、同地の新聞紙は一斉に筆を整えて獰猛《どうもう》に彼の攻撃を開始し「自称国賊《セルフコンフェッスド・ヱネミー》きたらんとす」「売国奴《トレーター》ロイド・ジョージ侵入せんとす」などいう挑発的文字をもって盛んに市民の反感を扇動し、広告隊は終日市中を練り歩きて「国王、政府及びチャンバーレン君を防衛するがため」忠実なるすべての市民は、ロイド・ジョージの演説会場たるタウン・ホール(市公会堂)に押し寄すべしなんど触れ回るという勢いで、彼いまだきたらざるに殺気はすでに市内にみなぎった。ここにおいてか警察部長《チーフコンステーブル》は万一をおもんぱかり、彼に向かってせつに集会を中止せんことを求めたけれども、元来彼ロイド・ジョージは、自ら反《かえり》みて縮《なお》からずんば褐《かつ》寛博《かんぱく》といえども吾《われ》惴《おそれ》ざらんや、自ら反みて縮くんば千万人といえども吾|往《ゆ》かんという流儀の豪傑なれば、なんじょうかかる事にひるむべき。いよいよ予定の日、予定の場所で大演説会を開くこととなった。そこで当日は警察官は総出となってタウン・ホールの界隈《かいわい》を警戒し、建物の内部にもおおぜいの警察官が潜伏して万一に備えた。しかしこれらの準備もついにすべて無効に帰した。ロイド・ジョージがその雄姿を演壇に現わすや否や、場内の聴衆はひそかに携えきたれる各種の飛び道具をば演壇目がけて一斉に放射し、場外の群衆もまたたけり狂うて、窓を破り扉《と》を押しのけて乱入すという勢いに、ロイド・ジョージはついに一語をも発するを得ず、演壇の後方なる一小室に難を避け警官の制帽制服を借りてにわかに変装し、わずかに会場を抜けいで、からくも一命を拾うたのであった。この時人民の重傷を負える者二十七名、即死一名、警官にして重傷をこうむりたる者また少なからざりしといえば、もってその騒擾《そうじょう》のいかにはなはだしかりしかを知りうると同時に、平生冷静沈着なる英人がかほどまでの騒動を惹起《ひきおこ》せしことは、その激昂《げきこう》の度のいかにはなはだしかりしをも知るに足ると思う。
 エヴァスンは彼を評して「ロイド・ジョージ以上の militant peacemaker(戦闘的平和主張者)はかつて見たことがない。彼は南ア戦争当時において、ブーア人が英軍に反抗して戦いしと同じ激しさをもって、戦争に反抗して戦った」と言っておるが、実にそのとおりだと思う。

       ×       ×       ×

 叔父《おじ》のリチャード・ロイドはその甥《おい》を理想的に育て上げることを神聖かつ最高の義務と信じて、これにその一身をささげた。このゆえにこの叔父によって育てられたるロイド・ジョージはその神聖かつ最高の義務と信ずるところに向かって、常にその一身をささげつつある。
 四歳にして父をうしない、二人の孤《みなしご》が母を擁して相泣きし時、身をささげて彼らの急を救うた者は叔父のリチャード・ロイドであった。叔父はこれがために一生めとらず、彼らとともにつぶさに辛酸をなめ尽くした。その恩義、その慈愛は
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