「う事は、それはわれわれの義務である。だから遊ぶのも御奉公の一つで、時によってはこのからだにも楽をさせぜいたくをさせてやらねばならぬ。しかしそれは私のいわゆるぜいたくなるものではない、必要である。遊ぶのではなくてお勤めをしているのである。
 私のいうぜいたくと必要との区別はほぼ以上のごときものである。してみると、貧乏人は初めからさしてぜいたくをする余裕をもたぬ者である。それゆえ私は、倹約論は貧乏人に向かって説くべきものではなく――少なくとも貧乏人に向かってのみ[#「のみ」に傍点]説くべきものではなくて、主として金持ちに向かって説くべきものだと信じている。貧乏人はそれでなくとも生活の必要品が不足して、肉体や精神の健康を害しているのに、そのうえへたに倹約を勧めると、全くしかたのないものになる。されば私がぜいたくをもって貧乏の原因であると言うのも、ぜいたくをする者はやがて貧乏になるぞという意味ではなくて、富裕な人々がぜいたくをしているということが他の多数の人々をしてその貧乏なる状態を脱することあたわざらしむる原因であるという意味である。この点から言っても、私の勤倹論は従来の勤倹論とその見地を異にしている。従来の勤倹論は自分が貧乏にならぬために勤倹しろと言うのであって、その動機は利己的であるが、私の勤倹論は他人の害になるからぜいたくをするなというのであって、その動機は利他的である。
 蓮如上人《れんにょしょうにん》御一代《ごいちだい》聞書《ききがき》にいう「御膳《おぜん》を御覧じても人の食わぬ飯を食うよとおぼしめされ候《そうろう》と仰せられ候」と。思うにこの一句、これを各戸の食堂の壁に題することを得ば、恐らく天下無用の費《つい》えを節する少なからざるべし。[#地から1字上げ](十二月十九日)

       十二の五

 私の倹約論は主として金持ちに聞いてもらいたいのだと言ったが、しかし私のいう意味のぜいたくは、多少の差こそあれ、金持ちも貧乏人も皆それ相応にしていることである。
 徳川光圀《とくがわみつくに》卿《きょう》が常に紙を惜しみたまい、外より来る書柬《しょかん》の裏紙長短のかまいなくつがせられ、詩歌の稿には反古《ほご》の裏を用いたまいたる事はよく人の知るところである。現に水戸の彰考館《しょうこうかん》に蔵する大日本史の草稿はやはり反古《ほご》を用いある由、かつて実見せし友人の親しく余に物語りしことである。
 また蓮如上人御一代聞書を見ると、「蓮如上人御廊下を御通り候うて、紙切れの落ちて候いつるを御覧ぜられ、仏法領《ぶっぽうりょう》の物をあだにするかやと仰せられ、両の御手にて御いただき候としかじか、総じて紙の切れなんどのようなる物をも、仏物《ぶつもつ》とおぼしめし御用い候えばあだに御沙汰《ごさた》なく候うの由、前々住上人御物語候いき」という記事がある。紙切れ一片でもむだには使わぬという立場から見れば、平生貧乏をかこちつつあるわれわれも相応にぜいたくをしていると言わなければならぬ。
 峨山《がざん》禅師言行録にいう「侍者師の室前なる水盤の水を替えけるに、師はそのそばにありて打ち見やりたまいしが、おもむろに口を開き、なんじも侍者となりて半年もたつから、もう気がつくだろうと思っていたが、言っておかぬと生涯知らずに過ごす。物はなァ、大は大、小は小と、それぞれ生かして使わねばならぬ。水を替える時は元の水をそこらの庭木にかけてやるのさ。それで木も喜ぶ、水も生きたというものだ。因地の修行をするものは、ここらが用心すべきところだ。また洗面の水なども、ざっと捨てずに使うたあまりは竹縁に流して洗うのだ……。うむ水一滴もそれで死にはせぬ、皆生きて働いたというものだ。陰徳陰徳と古人がたがやかましく言うのもほかではないぞ」。水一滴もむだにしてはならぬという這般《しゃはん》の消息になると、もはや経済論の外に出た話で、本来はこの物語の中に採録すべき記事ではないのであるが、私は事のついでに峨山《がざん》和尚《おしょう》のお師匠に当たる滴水和尚の逸話をもここに簡単にしるしておこうと思う。
 滴水和尚かつて曹源寺《そうげんじ》の儀山《ぎざん》禅師に師事されいたるころのことである。ある日禅師|風呂《ふろ》にはいられると、熱すぎるので、滴水和尚を呼んで水を運ぶことを命ぜられた。そこで和尚は何心なくそこにあった手おけを取って、その底にわずかに残っていた一すくいの水を投げ捨てて立ち去ろうとせらるると、浴槽《よくそう》に浸りおられたる儀山禅師、その刹那《せつな》に大喝《だいかつ》一声、ばかッとどなられた。和尚この一喝の下に始めて大いに感悟するところあり、すなわち改めて滴水と号し、爾来《じらい》斯道《しどう》に刻意すること久しく、いよいよますます一滴水の深味を体得す。和尚後年
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