黷ヘただ一例を示しただけであるが、今日のドイツには、産業上すべての方面にわたって、かくのごとき国有主義、国営主義が実現されつつあるものと見て、大過はない。
さすがの英国でも、ゼー・エチ・スミス氏の言ったごとく、だいたいは同じ方向に趨《はし》りつつある。たとえば去月(十一月)十九日発のルーター電報を見ると(同二十日の『大阪《おおさか》朝日新聞』掲載)英国にも食料品条例というものができて、すべての食料品の浪費を禁じ、各食料品につきその消費限度の量目を設定すること等の権限が、商務院の管掌事務として認められたということである。昨年(一九一五年)の一月からドイツの実行している事を、英国ではこのごろになってそれに着手したわけなのである。
いかに国民の生活必要品でも、その供給をば営利を目的とせる私人の事業に一任しておいては、遺憾なく全国民に行きわたるべきものではない。また奢侈品《しゃしひん》の生産はいたずらに一国の生産力を浪費することにより、いかに国民全体の上に損害を及ぼすものなりとはいえ、余裕のある人々が金を出してこれを買う以上、営利を目的とせる事業家は、争うてこれが生産に資本と労力とを集中する。そは従来の経済組織をもってしては、とかく避け難きことである。そこで貧乏撲滅の一策として、経済組織改造の論が出るのであるが、幸か不幸か、ドイツもイギリスもフランスも、国運を賭《と》するの大戦に出会ったために、今や一挙にしておのおのその経済組織の大改造を企てつつある。
思うに収穫の時期はすでにきたれり。アダム・スミスによりて産まれたる個人主義の経済学はすでにその使命を終えて、今はまさに新たなる経済学の産まれいずべき時である。見よ、世界の機運の滔々《とうとう》として移りゆくことを。語にいう、千渓万壑《せんけいばんがく》滄海《そうかい》に帰し、四海八蛮帝都に朝すと。古今を考えかつ東西を観《み》る、また読書人の一楽というべし。噫《ああ》。[#地から1字上げ](十二月四日)
十の三
皆が一生懸命になって、一国の生産力をできるだけ有効に使用しようとまじめに考えて来れば、従来の経済組織はおのずから改造されて来ねばならぬ。大戦|勃発《ぼっぱつ》後八方に敵を受けたドイツが、開戦後まもなく率先して経済組織の大改造を企てたのも、ひっきょうはこれがためである。従来多数の人々が見てもって机上の空論となし単に思索家の脳裏に描きし夢想郷に過ぎずとなせしところのものを彼はたちまちにして実現しきたったのである。思うに開戦当時は、半年もたたぬうちに必ず経済的破産に陥るべしと予期されたドイツが、今に至るもなお容易に屈せざるは、主としてこの新組織の力にまつ。真にわが国家の前途を憂うる者は、戦時におけるドイツ這個《しゃこ》の経営について大いに学ぶべし。もしそれその新組織を名づけて、あるいは社会主義なりとなし、あるいは国家主義なりとなすがごときは、ひっきょう名の争いのみ。名の異なるをもってその実を怪しむがごときは、おそらく識者のなすべき事ではなかろう。
もちろん現時のわが国においては、貧富の懸隔は決して西洋諸国のごとくはなはだしくなってはいない。しかし余のいわゆる貧乏線以下に落ちている人間は、今日といえども決して少なくはあるまいと思わるると同時に、他方には何か事件のあるごとに、巨万の富を積める者は次第にその富を百倍にし千倍にしつつある。もし病はすべて膏肓《こうこう》に入るを待って始めて針薬を加うべきものとせばともかく、いやしくもしからざる以上、われわれは事のさらにはなはだしきに至らざるに先だち、よろしく今日において十二分の考慮を積むべきである。
もっともわが国においても、郵便、電信、鉄道等はすでに国営事業となり、塩、煙草《たばこ》、樟脳《しょうのう》等もまた政府の専売になっている。また水道、電燈、電車等の事業にして、地方公共団体の経営に成れるものも少なくはない。さればこの上さらに公営事業を拡張することとなれば、個人にとっては次第に金もうけの仕事が減るので、一部の実業家にはずいぶん反対もあるであろうが、しかしほんとうに考うれば、一部の実業家を利するよりも、国民全体を富ます方が得策な場合がはなはだ少なからぬであろう。
私は論じてなお尽くさざるところがきわめて多い。しかし私は今この物語の終結を急ぐがゆえに、遺憾ながら適当の順序を経ずして直ちに根本問題に入ろうと思う。
ここに根本問題というは、いわゆる経済組織の改造なるものは、これをもって貧乏退治の根本策中の最根本のものとなすことを得《う》るかという問題である。しかして読者にしてもしこの問題をもって今私に迫られるならば、私は直ちにこれに答えて否という。
なにゆえというに、少し事を根本的に考えてみるならば、いくら組織
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