ランダの軍医デュブアという人が中央ジャバのベンガワン川に沿うて化石の採集をしていたころ、トリニルという所の付近で、たくさんの哺乳《ほにゅう》動物の遺骨の中から一本の奥歯を発見したのであるが、それがすなわち先に言うところの五十万年前の人間が遺《のこ》して死んだ臼歯《うすば》の一|片《きれ》である。そこでデュブア氏はなおていねいに土を掘ってゆくと、先に奥歯の発見された所から約三尺ばかり隔てた場所で頭蓋骨《ずがいこつ》の頂《いただき》を発見した。それからさらに引き続き発掘をしていたところが、今度は頭蓋骨の発見された所から八|間《けん》あまり隔てた場所で、左の大腿骨《だいたいこつ》と臼歯をもう一本だけ発見したのである。
くわしいことは私の専門外だから略しておくが、これが今日人間といえばいい得らるる者のいちばん古い遺骨であって、学問上ではこの人間を名づけてピテクァントロプス(猿《さる》の人)といっているそうである。しかしこれがはたして今日の人間の直系の祖先に当たるものか否かについては議論があるが、ともかく大腿骨が出たので、その構造から考えてみて、この猿の人なるものは直立していたということはわかるし、また頭蓋骨の一部が出たので、その者の脳髄も相当に発達していたということもわかる。元来われわれ人間が道具を造り出しうるに至ったのは、われわれが直立して二本の足で楽にからだをささえうるようになってからの事である。すでにからだがまっすぐになって来ると、それに伴うて二本の手が浮いて来て、全く自由なものになると同時に、頭がからだの中心に位することになって、始めて脳髄が充分な発達を遂げうるのである。――獸《けだもの》のように四つ足を突いて首を前に出していては、到底重い脳みそを頭の中に入れておられるはずのものでない。猩々《しょうじょう》、猿の人、曙《あけぼの》の人(後に述ぶ)、現代人と、だんだん姿勢が直立して来るに従って、脳髄も次第に大きくなって来るありさまは、ここに挿入《そうにゅう》せる図によりてその一斑を知らるべし。――そこでその発達した脳髄でもって自由な手を使うことになったから、始めて人間特有の道具の製造が始まるのであるが、今この猿の人なるものがはたして道具を造っていたか否かに至っては、別に確かな証拠はないが、たぶん木及び石でできたきわめて幼稚な道具を使っていただろうというのが、オスボー
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