平準にあるもので、たとえば大道のそばでひなたぼこをなしつつある乞食《こじき》のもっている安心は、もろもろの王様の欲してなお得《う》るあたわざるところである*」
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* Adam Smith, The Theory of Moral Sentiments, 6th ed., 1790. p. 311.
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ただ今|嵯峨《さが》におらるる間宮英宗《まみやえいそう》師は禅僧中まれに見る能弁の人であるが、その講話集の中には次のごとき話が載せてある。前に掲げたるアダム・スミスの一句の注脚とも見なすべきものゆえ、これをそのまま左に借用する。
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「昔五条の大橋の下に親子暮らしの乞食《こじき》が住んでいました。もとは相応地位もあり財産もあった立派な身分の者でありましたが、おやじが放蕩無頼《ほうとうぶらい》に身を持ちくずしたため、とうとう乞食とまで成り果てて今に住まうに家もなく、五条の橋の下でもらい集めた飯の残りや大根のしっぽを食べて親子の者が暮らしていたのであります。ところがちょうどある年の暮れ大みそかの事、その橋の上を大小《だいしょう》さして一人の立派なお侍が通りかかった。するとそこへまた向こうの方から一人の番頭ふうの男がやって参りまして、出会いがしらに『イヤこれは旦那《だんな》よい所でお目にかかりました』と言うと、そのお侍は何がよい所であろうか飛んだ所で出くわしたものだと心の内では思いながらもいたしかたがない、たちまち橋の欄干に両手をついて『番頭殿実もって申しわけがない、きょうというきょうこそはと思っていたのだけれども、つい意外な失敗から算当が狂ってはなはだ済まぬけれども、もう一個月ばかりぜひ待ってほしい』と言うのを、番頭はうるさいとばかりに『イヤそのお言いわけはたびたび承ってござる、いつもいつも勝手な御弁解もはやことしで五年にも相成りまする、きょうというきょうはぜひ御勘定を願わなければ、そもそも手前の店が立ち行きませぬ』と威丈高《いたけだか》になって迫りますと『イヤお前の言うところは全く無理ではないが、しかし武士ともあるものがこのとおり両手を突いてひらにあやまっているではないか、済まぬわけだが今しばらくぜひ猶予《ゆうよ》してもらいたい』としきりにわび入る。これを橋の
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