鈍くては困る。またからだもよし、あたまもよいが、人格がいかにも劣等だというのでも困る。されば肉体《ボディ》と知能《マインド》と霊魂《スピリット》、これら三のものの自然的発達をば維持して行くがため、言い換うれば人々の天分に応じてこれら三のものをばのびるところまでのびさして行くがため、必要なだけの物資を得ておらぬ者があれば、それらの者はすべてこれを貧乏人と称すべきである。しかし知能《マインド》とか霊魂《スピリット》とかいうものは、すべて無形のもので、からだのように物さしで長さを計ったり、衡《はかり》で目方を量ったりすることのできぬものであるから、実際に当たって貧民の調査などする場合には、便宜のため貧乏の標準を大いに下げて、ただ肉体のことのみを眼中に置き、この肉体の自然的発達を維持するに足るだけの物をかりにわれわれの生存に必要な物と見なし、それだけの物を持たぬ者を貧乏人として行くのであって、それが私のいう第三の意味の貧乏人である。
 さてこの肉体を維持するに最も必要なるものは食物であるが、これはもろもろの学者の精密な研究の結果によりて、西洋では大人《おとな》の男子で普通の労働をしている者は、まず一日三千五百カロリーの熱量を発するだけの食物を取ればよいということがわかっておる。有名なるローンツリー氏の貧民調査などはすなわちこれを標準としたものである。ここに一カロリーというは、水一キログラム(すなわち二百六十七匁)を摂氏の寒暖計にて一度だけ高むるに要する熱の分量である。けだしわれわれ人間のからだはたとえば蒸気機関のごときもので、食物という石炭を燃やさなければ、この機械は運転せぬのである。そこでそのからだという機械の運転に必要な食物の分量は、これを科学的に計算するに当たりては、米何合とか肉何斤とか言わずに、すべてカロリーという熱量の単位に直してしまうのである。
 しからば人間のからだを維持するにちょうど必要な熱の分量はこれをいかにして算出するかというに、これについてはいろいろの学者の種々なる研究があるが、試みにその一例を述ぶれば、監獄囚徒に毎日一定の労働をさせ、そうしてそれに一定の食物を与えて、その成績を見て行くのである。最初充分に食物を与えずにおくと、囚徒らは疲労を感じて眠《ねぶ》たがる。何か注文があるかと聞くと、ひもじいからもっと[#「もっと」に傍点]食べさしてほしいと言う
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