の懸隔のはなはだしきを匡正《きょうせい》し、社会一般人の所得をして著しき等差なからしむることを得《う》るならば、これまた貧乏存在の一条件を絶つゆえんなるがゆえに、それも貧乏退治の一策となしうる。
 第三に、今日のごとく各種の生産事業を私人の金もうけ仕事に一任しおくことなく、たとえば軍備または教育のごとく、国家自らこれを担当するに至るならば、現時の経済組織はこれがため著しく改造せらるるわけであるが、これもまた貧乏存在の一条件をなくするゆえんであって、貧乏退治の一策としておのずから人の考え至るところである。
 さてわれわれが今、当面の問題をば単に机上の空論として取り扱うつもりならば、われわれは理論上以上の三策に対してほぼ同一の価値を下しうる。しかしながら、採ってもって直ちにこれを当世に行なわしめんとするにあるならば、おのずから別に周密なる思慮を加うるを要する。
 たとえば、難治の大病にかかって長く病院にはいっていた者が、近ごろ次第に快方に向かったというので、退院を許され、汽車に乗って帰郷の途についたとする。しかるに不運にも汽車が途中で顛覆《てんぷく》してその人もこれがために重傷を負うて死んだとする。今この一例について考うるに、もし汽車が顛覆しなかったならば、この人はたしかに死ななかったはずである。しかしたとい汽車は顛覆しても、もしその病気が快方に向かわなかったならば、この人は退院も許されず、従って帰郷の途につくはずもなかったのであるから、やはり死を免れたはずである。すなわちこの人の死を救わんとすれば、われわれはこれら二条件のいずれか一をなくすればよいのであるが、しかし汽車をして顛覆せしめざるの方策を講ずるのはさしつかえないけれども、その人の病気をして快方に向かわしめざるの方策を講ずるというは間違いである。もし引き続きさような事をしたならば、その人は汽車でけがをして死ぬることこそなくとも、ついには病院の床の上で医者に脈をとられつつ死ななければならぬのである。思うに以上述べたる貧乏根治策のうち、あるいはこれに類するものなきやいかん。けだし上記三策の是非得失ならびにその相互の間における関係連絡に至っては、おのずからさらに慎重なる考慮を要すべきものならん。請う余をして静かにその所思の一端を伸べしめよ。[#地から1字上げ](十一月十一日)

       八の二

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