非なり。按ずるに于※[#「業+おおざと」、第3水準1−92−83]褒中即事詩に云ふ、遠鐘来[#二]半夜[#一]、明月入[#二]千家[#一]と。皇甫冉、秋夜会稽の厳維の宅に宿すの詩に云ふ、秋深臨[#レ]水月、夜半隔[#レ]山鐘と。此れ豈に亦た蘇州の詩ならんや。恐らく唐時の僧寺には自ら夜半の鐘ありしなり。京都街鼓今尚ほ廃す。後生唐の詩文を読んで街鼓に及ぶ者、往々にして茫然知る能はず。況《いは》んや僧寺夜半の鐘をや。(老学庵筆記、巻十)
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○唐詩選岩波文庫版の註には、この夜半の鐘声について次の如き註が加へてある。「夜半に鐘声あるか無きかに就いて古来論あり。胡応麟曰く、夜半の鐘声客船に到る、談者紛紛、皆昔人のために愚弄せらる。詩は流景を借りて言を立つ、惟だ声律の調、興象の合ふに在り、区々の事実彼れ豈に計るに暇あらんや。夜半の是非を論ずるなかれ、即ち鐘声を聞くや否やも未だ知るべからざるなりと」。かくの如く、胡応麟は、詩に於ては区々の事実は豈に計るに暇あらんや、として居るが、放翁の態度が之と徹底的に対蹠的であることは、以上各項の示すが如くである。
○放翁自身にも宿楓橋と題
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